
2012年12月09日
2010年12月13日
『ラナーク/アラスター・グレイ 森慎一郎・訳 』

―― 第三巻
リマは一風変わった、どこか猫を思わせる、一本調子の声で話した。まるで強調に値する言葉などないと思っているかのように。ラナークは横目で彼女の横顔を窺った。白い頬からひっつめられた黒く艶やかな髪、マスカラでかすかに強調された大きな完璧な目、鼻筋の通った高い鼻、口紅をつけていない、小さくまっすぐな口、小さく締まったあご、黒いセーターの下の、形のよい小さな胸。彼の視線に気づいていたとしても、そんな素振りはまったく見せず、頭を後ろに傾けて、鼻の穴から煙草の煙を吐き出している。そのしぐさはまるで、大人の女のように煙草を吸おうと背伸びしている少女のようで、不意にやさしい気持ちがこみ上げてきて、ラナークは胸が苦しくなった。 18
視線は絶えず、カウンターの向こうの壁の、円形に色が薄くなっている部分に吸い寄せられた。かつてそこには時計が掛けられていて、それが外されたに違いない。待ち時間を計ることができたら、これほど長く待たされることに耐えられるはずもないからだ ( 中略 ) そのうちものを考えるのをすっかりやめて、実際に眠りには落ちないものの、かぎりなく無意識に近い状態になった。この状態なら永遠の時さえやりすごせそうだったが、ひとりの女が隣に座ったせいで、ぼくは覚醒した。 34(存在、時間、経過、時がある/ないのメタファーとして、かつて掛かっていた壁掛け時計が利いてる)
ぼくが思うに、この世には、仕事は監獄、時間は鞭、愛は重荷でしかない。そんな街だってあるはずだ。それを思えば、ぼくの自由は価値あるものに感じられる。ただひとつの心配事は、腕のかさぶただ。そこには感覚がまったくないのだが、疲れてくると、かさぶたの縁の正常な皮膚がかゆくなってきて、掻くとかさぶたが広がってしまう。 36(かさぶたは、壁掛け時計と対をなすメタファーかも)
スラッデンはありもしない帽子を取るふりをして、ぺこりとお辞儀してみせたが、フランキーの怒りはあまりに強烈で、冗談のようには見えなかった。
「要するに、わたしは人間の姿を愛していて、人々がそれを貶めるのがいやだったんだ。一時的な利益を得るために、ある部分を異常に発達させたり、ごくあたりまえの苦痛から解放されようと、別の部分を取り去ったりしてね。わたしのまわりにいたのは、他人の精力を盗むことにおのれの精力を注ぐ蛙どもや、無数の口の背後に身を隠している海綿動物、感覚を鎧と交換してしまった甲殻類、そんな連中ばかりだった。 ( 中略 ) なあ、知っていたら教えてくれ、そんなわたしに入ることのできた組織が、軍以外にあったと思うかね? それなのにだ<中略> このわたしが、身長九フィートの、ガラスのように壊れやすい化物になってしまった。縦方向になら、上だろうと下だろうと、途方もない力を発揮することができる。ところが横からの衝撃を受けると、それがどんなに小さな衝撃でも、わたしはがしゃんと割れてしまいかねなかった。そう、軍人とはいえ、割れるときは割れるものなんだ」 72
ラナークの経験はすでに、意識のレベルで吸収できる限界を超えていた。彼は眠りに落ちていった。 77
マイクに向かって指示を出すと、鋼鉄のテーブルに載せられた竜が次々とスクリーンに現れた。きらきらと光沢のある皮に覆われたもの、亀のような甲羅を持つもの、魚や鰐のような鱗があるものもいる。ほとんどのものに大小さまざまな針や棘があり、中には大きな角がついたものや、またその角が枝分かれしているものなどもいたが、すべてに共通されるのは、何がしかの人間的な細部のせいで、余計に怪物じみて見えることだった。人間の足、耳、胸などが恐竜の鎧から覗いているのだ。 87
竜の嘴から白い蒸気が立ちのぼり、ぐるぐる渦巻いているせいで、十二号室の様子はいくぶん見えにくくなっていた。と、突然、嘴が噛みつくようにぴたりと閉じた。頭部の二つの半球が光線を放射し、全身がもだえるような動きを見せた。オザンファンが叫ぶ。「明かりを消せ! 発熱の光だけで観察したい」
にわかに真っ暗になって、星や円が視界をちらついたが、ラナークの目はしだいに闇に慣れていった。片側からマンロウの乾いた速い呼吸が、反対側からはオザンファンが口で息をしているのが聞こえる。「何が起こるんですか?」
オザンファンが言った。「体の全器官から強烈な光がほとばしり出る ―― 目の眩むようなね。じきに発熱の光で姿が見えるようになる」
少しして、ラナークは思わずぎょっとなった。オザンファンが耳もとで何やら囁いている。
「肉体が作り出す熱は自由に外に出なければならない。毛穴はもちろん、ペニス、肛門、目、唇、手足、指先、あらゆるところから、惜しみなく、また自己保存のためにも、あふれ出すべきなんだ。だが、寒さを恐れて、熱を放出せずに溜めこもうとする者も少なくない。体の器官や手足から熱が出ていくのを抑えてしまうんだな。その結果、体内に閉じこめられた熱が、体の表面を硬い断熱性の鎧へと変形させる。きみは体のどこが竜になった?」
「片方の手と腕です」
「その部分をまともなほうの手で触ってみたことがあるかね?」
「ええ。冷たい感触でした」
「そのとおり。熱が外に出てこないからね。だが熱は中にも入っていかないんだよ! そして、人間は自ら作り出す熱より、受け取る熱のほうを強く感じるから、鎧の部分は残りの人間の部分には冷たく感じられる。さて、そこで彼らは鎧を脱ぎ捨てるか? いいや、そんなことはめったいにない。正義のない戦争に敗れつつある国家みたいなもので、降伏なり退却なりすべきところなのに、かえって体のますます多くの部分を鎧に固めていく。そんなわけで、始めのうちは、情愛とか欲望とか知性とかを出し惜しみしているだけだったのに、しまいには、心臓が、性器が、脳が、両手が、すべての皮膚が、硬い外皮に覆われてしまう。喋ることと食べること以外、何もしなくなる。出入りはすべてひとつの穴から、というわけだ。そしてその口も閉じてしまえば、熱は完全に出口を失い、体内にどんどん溜まっていって、ついに……まあ、あとは自分の目で確かめるんだな」
漆黒の闇の中に座っていると、湾曲した緋色の光線がひと筋、ぼんやりと見えてきた。光線はぴくぴくと動きながら両端を伸ばしていき、やがて直立した竜の輪郭となった。両脚を開き、手で闇を押しやるような格好で両腕をいっぱいに広げ、大きな頭は左右に動いている。奇怪な感覚がラナークを襲った。竜が部屋の中に、目の前に立っているような気がしたのだった。まわりは完全な闇で、大きさを比べるものがないせいか、竜は巨大に見えた。あるいは苦痛に身もだえしているのかもしれないが、その動きはどことなく威嚇的で、勝ち誇っているようでもある。黒い頭の内部、目があるべき場所に二つの星が現れ、そのうち全身が白や金色の無数の星に覆われた。ラナークには、その怪異な姿が何マイルもの高さにそびえているように感じられた。まるで人の形をした銀河のように。やがてその姿は黄金色に輝くひとつの塊と化し、それがさらに誇張して、目の眩むような光の玉になったかと思うと、雷鳴のような轟音が響き渡り、一瞬、部屋が猛烈に暑くなった。床が大きく揺れ、それから明かりがついた。 88
どこまでも身を落とし、こちらが望むならどんな姿にでもなってくれそうな、そんな従順さ。その目をじっと覗きこんでいると、まるで絶えず変容していく世界を、そのどれもが性的な無数の世界を猛スピードで飛び過ぎているかのようで、やがてその飛翔から戻ってみれば、女の険しい目には嘆願の色が、微笑にはおずおずとした表情が浮かんでいる。 116
立方体の部屋で、壁、天井、床のすべての面が鏡張りになっている。部屋の中央にある低いダブルベッドはベルベットのクッションに覆いつくされ、壁にあるスポットライトがその上にひと筋の光を投げかけている。他には家具調度品の類はない。ラナークは呆然と立ち尽していた。百ものきらめくガラスの箱に囲まれ、そのひとつひとつの中にベッドと女と彼自身が閉じ込められている、まさにそんな感じなのだ。床を見下ろすと、自分の足の裏がもう一組の足の裏にのっていて、その足の裏の先にぶらさがっているもうひとりの自分がこちらを見上げている。ベッドに向かって一歩踏み出せば、分身たちが両側で前進し、前方から一列に並んで近づいてくる分身たちと一歩づつ歩み寄る。 117
部屋の空気は熱く、息が詰まりそうで、煙草の煙のような白煙がひとすじ、嘴からのぼっている。「リマ」と彼は呼びかけた。
歓喜に震える声が答えた。「あんたなの? ソー坊や? さよならを言いに来たの? もう寒くはないわ、ソー。暖かいし、それにあたし、もうすぐきらきら輝くのよ」 121
われわれはこの数字を、あるがままの形で、正確に、頭の中に入れておくことができる。というのはつまり、その数字と、その数字についてのわれわれの観念は一致しているということだ。われわれの親友でさえ、その電話番号に比べれば、絶えず変化してあてにならない。 138

―― 第二巻
夜が明けてまもなく、彼はアレグザンドラ公園のゴルフコースに立っていた。頭上の灰色の空を飛ぶヒバリの声に耳を傾ける。鳥の歌声がやみ、その死骸が足もとの芝にどさりと落ちた。散乱するスズメやクロウタドリの死骸をよけながら、門に向かって小道を下っていく。アレグザンドラ広場まで来ると、通勤のトラムが、見たところ空っぽのまま、車輪をきしらせて信号機を通り過ぎていった。信号の光が赤と琥珀色から緑に、それから緑と琥珀色に変わり、やがて消えた。トラムが停車した。
何もかもが一気に死に絶えたわけではなかった。低いところに生える植物は、ラストスパートで異常な生育を見せた。蔦がジョージ・スクエアのスコット像を一気に駆け上がり、詩人の頭の上の避雷針まで達した。それからたちまち葉が落ちて、円柱のまわりには骨のように白い、骨のように硬い繊維が残った。苔が絨毯のように歩道を覆い、踏むととたんに崩れて粉々になった。彼はひとりきりで街を歩いていた。幸せだった。 326
「ぼくは……ああ、ぼくは……」
思考が溶解した。唇がいくつかの言葉を形作ったが、音になったのは二つほどだった。ひとつは「母さん」、そのすぐあとに「世界」。とはいえ、それは自分でも意識していない思考であり、あとになって振り返ってみても、そのとき何かを考えていたという記憶はまったくなかった。 349
ソー氏は頬をこすりながら言った。「おまえは読書家だし、父さんよりよほど物知りだ。で、訊くが、この世界に人間が現れてからどのくらい経つんだ?」
「およそ三十万年」
「都市ができてからは?」
「およそ六千年」
「全世界に力が及ぶような、巨大な政府が生まれてから何年になる? そう、こいつの答えはわたしにもわかる。せいぜい一世紀ってところだ」
「それで?」
「なあダンカン、現代史ってのは始まったばかりなんだよ。あと二世紀ほど待ってやれ、きっと本物の文明が築けるさ! 心配するな、おまえ以外にもそれを望んでる人間はたくさんいる ( 中略 ) 」 361
アメリカ人の婦人が車のそばに立って、丘の斜面の上方、木立の中にぽつんとある、古風な給油機みたいな形の白っぽい石をじっと見上げている。「あれが何か、ご存知?」と婦人が訊いてくる。
赤ギツネの異名をとったコリン・キャンベルが殺害された場所を印す石碑だと思う、とソーは答える。婦人のかおにゆっくりと微笑が浮かぶ。「その話、ロバート・スティーヴンソンの『誘拐されて』の中で読んだ気がするんだけど?」
それはありえますね、とソーは言う。 432

―― 第四巻
「ここにあるのは、、ごく最近まで博物館や物置小屋、骨董屋などに埋もれていた、数多くの時計のひとつです。あまり立派なものには見えないかもしれませんが、完璧に作動する状態に修復することができた最初の時計がこれなのです。他の時計も修理が済みしだい、公共サービスの主要部門のオフィスに設置される予定ですが、その際の基準になるのが、この時計の時刻です」
スラッデンは樅の球果の形をした振り子の錘を指した。
「ご覧ください、振り子の錘を巻き上げて、ケースのすぐ下の棚の上に置いてあります。この会見の最後に、わたしはこの錘を棚から下ろします。すると時計は深夜零時の時を打つ。古い一日が死に、新しい一日が始まる時間です。時計が鳴ると同時に、警察および工場のサイレンを長く鳴らします。 ( 中略 )
静謐を好む人々にしてみれば、このような騒音はプライバシーの粗暴な侵害以外何物でもない、それはよくわかります。識者諸兄は、太陽の光もないのに太陽中心の時間の尺度に戻るというのは、時計を動かすと言いながら、時計の針を進行させているようなものだとおっしゃるでしょう。肉体労働に従事している皆さんは、脈拍によって時計を計ることに慣れているでしょうから、すべてはまったくどうでもいいことだと思われるかもしれない。でもいいのです。この時計があれば、わたしは皆さんに明確な約束をすることができる。 ( 中略 ) 」
( 中略 )
「そろそろおやすみのご挨拶をして、わたしはおいとまします。この大アンサンクにおいて、いま、永遠が終わりを告げます。そして時間が始まるのです」
彼は錘を下ろした。振り子がチックと右に振れ、タックと左に振れた。時計の文字盤が大きくなっていき、ついにはフロントガラスをほとんど覆い尽くした。針は二本とも真上を指している。その針の先、文字盤の上方についている小さなドアが、いきなりバタンと開いた。と、中から木製の太った鳥が飛び出して、「カッコウ! カッコウ! カッコ ―― 」 554
(壁に掛かっていた『時計』のモチーフが再びあらわれる。こんどは形をともなって、政治のアイコンとして、契機として指導者/首謀者につかわれる。「時」が顕在化し、使役され、人々が時計/時のフレームに囲われる)
マクフィーは片手を放してラナークの鼻の穴をつまみ、口を押さえた。ラナークはふと、目の前、数インチのところ、棚の上の輝くやかんの側面に、自分の顔とマクフィーの手のふくれた鏡像が映っているのに気づいた。鏡像はちらちらゆらめき、やがてぼんやりと薄れていって、これが真っ暗になったとき、自分は意識を失うのだろうと彼は思った。痛みは感じなかったので、それほど不安はなかった。と、ぴしゃりぴしゃりと叩くような音、それから「やめて、放してあげて」とヘレンのあえぐような声がして、ラナークは解放された。 ( 中略 )
ドアの取っ手を手探りで引き、転げ落ちるように外に出て、ドアをバタンと閉めた。しばしどうしたものかとためらう。モーホームはかすかにぐらぐらと揺れている。フロントシートからくぐもった物音が聞こえ、後方からはか細い子供の泣き声が聞こえる。ふとラナークの目が、建物の切妻で光を浴びている一枚のポスターに引き寄せられた。水着姿のスポーツマンタイプのカップルが、楽しそうに笑っている二人の子供とビーチボールで遊んでいる。上にはこんなコピーがあった。<金は時なり。時は生命なり。ご家族のために生命を買うなら、クワンタム・イソターミナブルで。(パパ大好き!)> 557
(スラッデンが永遠に諸手を突っ込み、短針と長針の2本の針(人、それを巡る定めなどのメタファー)が回り始めた。車、という密室(世界/空間/構造/ある種の親密な関係性)から落ち、堕ち、流産し、転げ落ちたラナーク。下降、落下、墜落、縦、それも重力や引力=人に逆らえない流れに圧される存在としてのラナーク。建物に貼り付けられたポスター、それは本書の前半部に見られたポスターのリバイバルだ。このタイミングで登場させるグレイの演出、カラックスの憎たらしいまでの巧さを想起する、グレイにはいやらしさはない、このギャップは? 『ラナーク』という小説における縦、横の意味、時間、壁、そこに時計が「掛けてあった」ことの意味、消失されたものが時計だったことの意味、おなじメタファーの「壁」に、こんどは馬鹿みたいな経済のためだけの虚実的なポスターがかかっているということの意味、そのポスターが隠しているものはなんだ?)
ねえ憶えてる? おなかに子供がいたとき、あたしが女の子がほしいって言ったら、あなたは男の子がほしいって、そうすれば赤ん坊のことをどっちかが気に入ることになるからって、そう言ったでしょ? あなたはいつだって、あたしのバランスを取ろうとするのよ、まるであたしが傾いた船かなんかみたいに。 561
「すぐに会いにいくからって、たくさん会いにいくからって、サンディに言っといてくれ。さよなら」
リマは立ち上がり、スーツケースを手に持ったが、そこでためらった。「そんなに我慢せずにもっといろんな不満を口に出せば、あなたもきっと、いまより幸せになれるわよ」
「不満を口に出せば、きみはぼくのことを好きになって、一緒にいてくれるのかい? いや、そんなことしたって、出ていくきみの気分が楽になるだけだ。だからそんなふうに ―― 」
そこまで言ったところで、口をぽかんと開けたまま、ラナークは言葉を切った。それというのも、激しい悲しみが喉もとにこみあげてきたからで、やがてそれは、派手なしゃっくりのような、あるいは木の時計がゆっくり時を刻んでいるような、大きな、乾いた、切れ切れのすすり泣きとなってほとばしった。目と頬がずぶ濡れになった。リマのほうに手を伸ばすと、彼女は「かわいそうなラナーク! ほんとに苦しんでいるのね」と静かにつぶやき、静かに部屋を出て、静かにドアを閉めた。しばらくして、嗚咽がようやく止まった。胸に鉛のような重みを感じながら、彼はじっと横になっていた。べろべろに酔っ払うとか、家具をぶち壊すとか、何かそういうことをしたかったが、何をするのも億劫だった。鉛の重さのせいで起き上がることもできず、そうして横になっているうちに、眠りに落ちた。 562
(鉛は錘であり、錘ラナークはさきのリマの発言(561)を布石としている。「あたしは傾いた船?」船も海も失い(どちらも母性のメタファーだが)ひとり床に沈むラナーク……これによって意味が輻輳化し、物語が奥行きと符号を孕む。 ……匠! 巧い!)
「政界に流星のごとく現れた新人」勇ましい感じの男が言った。「しかしどこから現れたんです?」
「アンサンクからだよ」とスラッデンが言った。「わたしとは若い頃からよく知っている間柄でね。ボヘミアン連中とつるんで、まあ若気の至りというやつだな。よく一緒に悪さをしたものさ。コーヒースプーンで人生を量り、そこに意味を見出そうと躍起になっていた。 ( 中略 ) 」 569
周囲に電灯が三つ据えられている。防水シートの中央に、足先がべったりと幅広く、短足がにまたの、何やら鳥のようにも見えるものが立っていた。ワシにしては大きすぎるが、形はワシに似ていて、羽は褐色がかった金色だった。胸のところにU-1という文字がステンシルで刷りこまれている。背中のたたんだ翼のあいだに穴が開いており、覆いかぶさっている羽根のせいでずいぶん狭く見えるが、実際には幅十八インチほどはあろうか。ラナークに見える範囲では、穴の中はキルト状の青いサテンで覆われているようだった。「それ、鳥かい、それとも機械?」 572
第四十章 プロヴァン
目が覚めたときには静けさの中で揺られていて、目の前に明るい満月が見えた。月のまわりの空に、大きい星がいくつか浮かんでいる。あまりにまぶしいので、目を休めようと、あいだの何もない深い空間へと視線を移したところ、たちまちそこにも星が輝き始め、やがて全星座が姿を現した。どこに目をやっても、どんなに小さな空間を見つめても、見ているうちに銀粉のごとき星雲がそこにまたたき始めるのだった。羽を広げたラナークの飛行機は、わずかに傾いた姿勢で、星々の天井と滑らかな雲の床のあいだに浮かんでいるようだった。雲は星々と同じく地平線から地平線まで一面に広がっていて、薄明かりの中で見た白という、あらゆる色の中で最も神秘的で荘厳な、あの色だった。やがて下に見えていた雲が薄れていき、雲のあいだに隙間ができた。と、一瞬、ラナークは飛行機がひっくり返ってしまったのかと錯覚した。というのも、雲の隙間から輝く月が見えたからだ。それは円形の湖の水面に映った月だった。ただ映っているだけではなく、ずいぶん大きく映っている。下方に見える月の中心付近にある黒いしみは、波が乗っている機械鳥の影に違いない。湖は薄闇に包まれながらも、それ独特の色をたたえている。映っている月の周囲を漆黒の輪が取り囲み、そのまわりには、星々を散りばめた濃紺の湖水が環状に広がっている。湖の左右の端には、雲と同じほのかな真珠色の砂にびっしりと覆われた砂浜があり、円形の湖と砂浜とが湾曲した二本の海岸線に囲いこまれているところは、ちょうど人間の目のように見える。そして、それが目であることがラナークにはわかった。彼がそのとき味わった感覚は、まったく新しい、それゆえ名づけようのないものだった。口も心もぽかんと大きく開けて、頭の中にあるのはただ、自分は ―― その巨大な瞳孔の前を漂うしみみについたしみにすぎない自分は ―― その目に見られているのだろうかという、ひとつの疑問だけだった。何か他のことを考えようと、頭上の星々に目を向けたが、すぐにまた下を見ていて、すると目は先ほどより近くにあり、そこに見えるのは深みに映っている星々だけだった。遠い雷鳴のような、風の息吹のような音が耳に入った。「Is……is……is……」とそれは聞こえた。「Is……is……is……」二手に分かれた星々が顔を見合わせ、かすかに微笑むのがわかった。 ( 中略 ) やがて、無限に目が眩んで朦朧となったラナークは、眠りに落ちるのではなく、その無限の中へと浮かび出ていくような気がした。 574
ときおり、雲の切れ目から鳥の鳴き声が泉のように吹き上がってくることがあって、そんなときに下を覗くと、少しのあいだ、一マイルばかり下方に草地や岩々が見えたりもしたが、絶えず耳に聞こえているのは、空気が薄いせいでずいぶん静かに聞こえる、機械ワシがばっさばっさと羽ばたく低い音だけだった。体をしっかりと支えてくれるサテンの上に、ラナークはのんびりぬくぬくと ( 中略 ) 前方の地平線のあたりに、ちょうどがらんとしたテーブルの端にのっているミルク入れのような感じで、白い雲の山がぽつんとひとつ見えている。鳥の形をした黒い点が、微小な影を落としながら、その側面を横切っていったような気がした。しばらくすると、雲の山の頂や絶壁がふわふわと頭上を漂い過ぎていった。太陽に近いあたりはとろりとしてきらきらまぶしく、太陽から離れるにつれてしだいに青い影が濃くなっていく。そこで雲の平原が終わり、雲の山の下に隠れていた本物の山が見えた。 ( 中略 ) 鹿の群れだ。荒地の小さな湖から湖水が滝となってほとばしり ( 中略 ) 海岸に沿って、色とりどりの畑と農家の白い建物が点在しているのが見え、その先の入り江の ( 中略 ) 沖の方では、大きなうねりが一面に描くうね模様のあちこちで小さな波が立ち騒ぎ ( 中略 ) 薄緑色にゆっくりと泡立つ三角形の航跡の頂点を、船体の長いタンカーが進んでいく。 575
(グレイが書く、空中撮影のカメラワークみたいな視線の推移、そのスムースと転換点の注目と、印象の普遍性!)

―― エピローグ
盗作の引用
本書に見られる文学作品からの盗作は3種類に大別できる。すなわち、他人の作品が大裁上明確に識別できる形で印刷されているまるごと型盗作、盗んだ言葉が物語の本文に密かに紛れこんでいる埋め込み型盗作、風景、人物、出来事、新奇な着想を使うことなく盗んでいるぼんやり型盗作である。以下では、紙面の都合上、それぞれマル盗、ウメ盗、ボヤ盗と略す。 595
最もありそうな死というのは、いまなお(カラーイルの言葉を借りれば)“炎と燃える痛みの馬車”に乗って地上を離れるか、あるいは腕のいい医者が手近にいれば、朦朧と麻痺した状態でふらふら漂い去るか、そのどちらかだ。 610
「なあ、ぼくの態度に腹を立ててるんなら謝るよ。ただね、いまは頭の中が心配事でいっぱいなんだ。それにどのみち、リラックスとかいまを楽しむとか、そういう方面は昔から苦手だしね」
「かわいそうな人」
「不平を言うつもりはないよ」ラナークは弁解するように言った。「ほんとにすばらしいことだって、いつくかは起こったからね。こんなぼくにも」 614
別のジョイが透明な飲み物の入った背の高いグラスを手渡してくれたので、みんなに見守られながら、ひと口すすってみた。口当たりはやわらかくふわふわしていて、それがだんだん冷たくミルキーになり、ペパーミントのようにうっすらと舌を刺したかと思うと、今度はジンのような苦味を帯び、さらにはチョコレートのようにどろりと温かくなって、ついにはレモンのように酸っぱく、それでいてレモネードのように甘くなった。もうひと口すすってみたところ、今度は舌の上を流れていくにつれて味がころころ変わるのに気づいた。舌先ではクロフサスグリの味なのだが、舌の中心に近づくとともに、喉に達する頃には牛肉の澄んだ肉汁のような感じになって、燻製の牡蠣を思わせるかすかな後味が残った。 617
「音楽が始まったら、あたしと踊ってくれる?」
「もちろん」
「あたしとは?」とマーサが言った。
「みんなとそれぞれ一回ずつ踊るつもりだよ ―― 別のジョイを除いて。別のジョイとは二回踊る」
「どうして?」
「どうしてって、誰かひとりに特別やさしくしてやることで、自分に特別な力があるような気分になれるからさ」
また全員が笑った。 618
何か冷たいものが頬を刺した。目を開けると空は暗く、引きちぎったような雲が次々に押し寄せてきていた。ラナークはひとりぼっちで、足もとに散乱した石と、石のあいだに見えている古い骨と羽根だけだった。「サンディ?」そう口に出して、あたりを見回した。荒地のどこにも人らしき姿はない。西の空の雲間から二すじ三すじ射している夕暮れの光が薄れていく。みぞれがヘザーに白くこびりついている。風がさらに多くのみぞれを顔に叩きつけてくる。
「サンディ!」ラナークは絶叫しながら駆け出した。「サンディ! サンディ! アレグダンダー!」
ヘザーの荒地を突進し、つまずいて暗闇の中へと転げ落ちた。何かが体に絡みついて、しばらくもがいていたが、それが毛布であることに気づき、体を起こした。 636
始め、彼は子供で、それから小学校に入り、それから母親が死んだ。学生になり、画家として身を立てようとし、ひどい病気になった。しばらくカフェに入り浸ってぶらぶらと無益な時を過ごし、それからある施設に職を得た。そこである女と掛け合いになり、仕事を失って、政情の劣悪な場所に移り住み、息子が生まれた。女と子供は彼のもとを去り、何やらはっきりしない理由から、ある任務を帯びて何が会合のようなものに派遣された。始めのうちは大変だったが、やがて楽になった。急に重要書類の入ったブリーフケースを持つ有名人になったからだ。女たちに愛された。サンディと思いがけない休暇を過ごすことを許され、それから何か冷たいものが頬を刺して ―― 637
ついいましがた、何かとてもよいことが起こったのだという気がした。それは愛ではなかったかもしれないが、それのおかげで、いまや愛への心構えができていた。 638
従者は姿を消した。ラナークは従者のこともすぐ忘れ、両手で頬杖をついて、その後ずいぶん長いあいだ、空を動いている雲をじっと見つめていた。彼は少しばかりの心配を抱えたありきたりな老人であり、何はともあれ、空に光があるのがうれしかった。
まだ小さかった頃、ぼくは地図を作り始めた。
場所を印し、資源のありかを印し、敵がどこにいて
愛がどこにあるかを印した地図。ぼくは知らなかった
時が大地に積み重なることを。出来事は絶え間なく舞い落ちて
目印を消しつつ、地面に降り積もっていく。雪のように。
ぼくは大きくなった。ぼくの地図はもう時代遅れだ。
いまではもう、大地はぼくの上にある。
ぼくは動けない。もう行かないと。
さよなら 686(ラスト)
―― おまけ(グレイの肉声)
昔から異なるジャンルが混じったような作品が好きだった ( 中略 ) 映画版『オズの魔法使い』、ハンス・アンデルセンの物語、エイモス・チュツオーラの『やし酒飲み』、ホッグの『義とされた罪人の告白』、イプセンの『ペール・ギュント』、キングスリーの『水の子』、ゲーテの『ファウスト』、『白鯨』、ショーの『神を探す黒人少女の冒険』、それに古代の神話や聖書のいくつかの書。 ( 中略 ) H・G・ウェルズの『月世界最初の人間』、『眠れる者の目覚め』、ウィンダム・ルイス『悪意の祭典』、『人間の時代』 699

2010年12月11日
200x年 文学の旅/沼野充義・柴田元幸
エステルハージの小説の「あらすじ」を紹介するのは難しい。彼は一貫して伝統的な意味でのプロットを解体し、彼の小説の中でしばしば、どこまでが本当に起こったことでどこからが文体的効果によって引き起こされた幻想なのか、区別がつかなくなるからだ。彼はおびただしい引用、パロディ、パスティーシュ、意識の流れ、アイロニーといった手法を縦横無尽に使いこなし、文体的軽業を通じて断片を積み重ねていく。その結果、できあがるのは、文体そのものが物語りであるような作品である。 ( 中略 )
『心の助動詞』(一九五八)という短い、わずか百ページあまりの長編。これは母の死という実体験を踏まえて書かれた、自伝的要素の強い作品であり、死の床にある母の最後の日々から、葬儀、通夜にいたる経過が題材になっている。痛切なテーマではあるが、書き方は驚くほどモダンだ。各ページは死亡記事のように黒枠で囲まれ、その下の方には死をめぐる様々な引用が置かれ、上の方では母の死に行くプロセスと並行して様々な想念が複雑に絡み合いながら展開していく。 <中略 ―― 引用には自身の著作も含まれる!> 引用という手法は現代文学では決して珍しくなく、むしろ陳腐になる危険があるくらいだが、ここまで徹底的に、しかもあくまでも軽やかなゲーム感覚で実践されてしまうと、それが文章を見事に活性化することになる。 ―― 引用されたテクストは必ずしも自分自身のテクストと一体化せず、あくまでも異質なものとしてとどまる。その結果生ずる緊張こそが重要なのだ(エステルハージ) 26
ソ連兵は野原で、まだいつ敵が攻撃してくるかもわからないとき、釜でのんびりと料理を始めた。それに驚いたアメリカの記者が、どうしてそんな危険なことが平気でできるのかとたずねると、ソ連兵は「だいじょうぶ、だいじょうぶ、おれたちはたくさんいるから」と答えた、という。(レムの草稿集から沼野が拾った一文/264)
『心の助動詞』(一九五八)という短い、わずか百ページあまりの長編。これは母の死という実体験を踏まえて書かれた、自伝的要素の強い作品であり、死の床にある母の最後の日々から、葬儀、通夜にいたる経過が題材になっている。痛切なテーマではあるが、書き方は驚くほどモダンだ。各ページは死亡記事のように黒枠で囲まれ、その下の方には死をめぐる様々な引用が置かれ、上の方では母の死に行くプロセスと並行して様々な想念が複雑に絡み合いながら展開していく。 <中略 ―― 引用には自身の著作も含まれる!> 引用という手法は現代文学では決して珍しくなく、むしろ陳腐になる危険があるくらいだが、ここまで徹底的に、しかもあくまでも軽やかなゲーム感覚で実践されてしまうと、それが文章を見事に活性化することになる。 ―― 引用されたテクストは必ずしも自分自身のテクストと一体化せず、あくまでも異質なものとしてとどまる。その結果生ずる緊張こそが重要なのだ(エステルハージ) 26
ソ連兵は野原で、まだいつ敵が攻撃してくるかもわからないとき、釜でのんびりと料理を始めた。それに驚いたアメリカの記者が、どうしてそんな危険なことが平気でできるのかとたずねると、ソ連兵は「だいじょうぶ、だいじょうぶ、おれたちはたくさんいるから」と答えた、という。(レムの草稿集から沼野が拾った一文/264)
2010年12月08日
MEMO/愛と欲望のマタドール・雨月物語
●ペドロ・アルモドバル 愛と欲望のマタドール/フレデリック・ストロース:編 石原陽一郎:訳
彼が決まり事に興味を持つのは、何よりも、決まり事を無視したいがためである。決まり事の無視は、さまざまなジャンルの混淆、ユーモアとシリアス・ドラマのごちゃまぜ、不純さ、修道服の上のスパンコールの煌きというかたちで現れる。 p54
僕は、物語を書きながらテーマを発見していく。書きはじめるときにテーマがわかっていることはまずない。だからこそ、書くことは僕にとってすばらしい冒険でもある。テーマは最初から自分のなかにあって、必要なステップを踏んで仕事をしていく過程で、意識に上ってくるんじゃないかな。執筆の原動力になる物語上のモチーフは、ひとつの口実にすぎないことが多い。物語の柱だと思っていたものが、執筆中に消滅してしまうこともしょっちゅうだ。 p87
●雨月物語(上)
西行にとって言葉はイデオロギーの表現でしかない。その西行が言葉で院に対立することをやめて黙ってとき、はじめて言葉で抑えこめない執念のすさまじい動き目をみはることになった。そして頭ではそれを否定しながら、心では人間につきまとう不合理な事実として認めてしまう。そのとき、両者の対立と論難が終わったのである。表現としては、西行が歌にこめたつもりのイデオロギー(髄縁のこころのすすめ)と、それとは別に歌の表現自体が独自にもってしまっている意味との食い違いが、西行の意図とは関わりなくかってに進行していって、両人の対立が両人の知らぬうちに終わっていくというふうに、作者は構成したのである。このように<関係>が関係者の心を置き去りにして、それ自体で進んで片がついていく有様を<劇>的という概念は指すのである。そういう意味で、この作は劇的な構成をもっているといえる。
雨月物語の各作品はどれも、こちら側の視点となる登場人物と、そこから見られた向こう側の相手の人物の関係を、こちら側の視点人物の側から表現する、という形で書かれている。 ( 中略 ) 一方交通なのであり、したがって向こう側の人物とみえるものの言葉や外見はこちら側にわかるけれども、その裏に隠れたほんとうの心のようなものはわからない、という表現になっていて、そこのところが本質的な意味で<怪談>なのである。 p63
■三弥井古典文庫『雨月物語』
怪異は、どれをとってもそれに遭遇する者の身体感覚を通して描かれる。そのため、視覚・聴覚を始めとする感覚が鋭敏であるほど鮮烈な効果をあげる。 ( 中略 ) たとえば、群集の喧騒から寂寞とした波の音へという減音効果(菊花の約)。日没から雲間の星の光へという減光効果(浅茅)。
『雨月』には、「夢(あるいは眠り)」「酔」「熱」といった語がしばしば現れる。 <中略 ―― 怨霊が夢現となってあらわれ、侍の眠りを驚かす、酔心地に妖女と契りを交わす、熱に冒された画僧が寺を抜け出す> p iv
MEMO ちょっとしたものの言い方&Number
■ちょっとしたものの言い方/パキラハウス
お暑うございます(近所の人とすれちがう) 15
いただきだちで申し訳ございませんが(辞去のきっかけ) 34
よろしく お取り成し お願いいたします(依頼) 42
お伴させていただきます(誘いに応じる) 91
貴店(先方が商店の場合)
貴会(先方が団体や会の場合)
待たせますね(呼びかけ) 110
まだ 親掛かりの身ですので 176
たいへん残念ですが(断り) 178
――――――――――――――――
■Number741
(09年のスペイン代表)は各々のクラブで世界最高水準のサッカーを体験し、そこを勝ち抜いている。同じ周波数でサッカーをし、イメージを共有し、それを達成する技術もある。
( 中略 )
(ベルナベウ)に来るということは、ストーリーを既に知っている演劇を見に行くことに似てるんです。そこで重要になってくるのは、舞台に出演している役者がどんな演技をするのか、選手がどんな即興を見せてくれるのか、ということです。
(ブラトゲーニョ) 35
「MARCA紙によるアンケート」
スペインにとって最も重要な選手は誰か?
シャビ 45%
カシージャス 20%
イニエスタ 18%
ビジャ 10%
その他 7% 39P
「君が出る試合はお金を払ってでも見に行くよ」と笑顔で囁いた。一方で、その数週間後、トップチームに上がったばかりのシャビ・エルナンデスにこう告げた。
「ユースの試合を見に行ってこいよ。僕ら2人をお役ご免にするヤツがいるから。お前は僕を引退させるだろう。でも、お前はそいつに引退させられるよ」
(1999 グアルディオラ。イニエスタの出現に) 42
―― 技術的に高い選手ならフランスやオランダにもいますが、なぜスペインだけが常に高いポゼッションを保てるのでしょうか?
「ボールの受け方が上手いからだと思う。特にシャビは一度最終ラインにボールを戻すと、必ずその対角線に走っていく。ボールを受けやすいようにね。そのために長い距離を走るし、ボールを持っても正確にプレーをする。スペイン代表やバルサにはそんな選手が多い。だからシャビ、イニエスタ、トゥーレ(・ヤヤ)で作られるバルサの三角形は、なかなか抑えられない。それぞれがいろんな場所に顔を出すから、相手MFも捕まえきれないんだよね。足元の技術だけじゃなく、パスの受け方の上手さがある。メッシ、イブラヒモビッチ、アンリの3トップも重要だけど、今のバルサは中盤の3人をどうにかしないと抑えられない。アルメリアはシャビにマンマークをつけてたけど、あれは今のバルサを封じるための一つのやり方だと思う」(中村俊輔) 71
―― 2トップのビジャとトーレスは前線だけでなくサイドに張ることも多い。
「エスパニョールもそうだけど、スペインのチームはFWがサイドに広がる。FWが開いて、そこにサイドバックも上がってくる。サイドで数的優位を作って相手を崩して、最後はゴール前にシルバやシャビらMFが飛び込んでいく。ベルギー戦でも、ビジャは左サイドに開いていたし、そこから中に切れ込んでチャンスに絡んでいた」(中村俊輔) 72
■ Number742
ファンマルバイクは、国外組みに所属クラブで身につけた“外国”のリズムをリセットすることを要求した。(組織がひとつにまとまらないから) 41
キム・ジョンフン(北朝鮮代表監督)
現在の北朝鮮代表の長所は?
「死んでもやり抜く気持ち」
好物はパン。 70
ドイツW杯は <中略 ―― ONとOFFの> 切り替えがうまくできていませんでした。大会前に早めにドイツに入ったということもあって、ずっと緊張しっぱなしだった気がします。思うようにチーム作りが進まなかったこともストレスの原因になっていたと思いますね。合宿中の紅白戦でも、Bチームのほうが圧倒的に強いんで……。毎日の練習ゲームの中でとにかく相手チームに勝つことに手一杯になっていて、その度に話し合っていました。それでも前向きな結論がなかなか出なかったりして、悩むことも多かった。 ( 中略 ) 悪循環でした。(中沢佑二) 104
お暑うございます(近所の人とすれちがう) 15
いただきだちで申し訳ございませんが(辞去のきっかけ) 34
よろしく お取り成し お願いいたします(依頼) 42
お伴させていただきます(誘いに応じる) 91
貴店(先方が商店の場合)
貴会(先方が団体や会の場合)
待たせますね(呼びかけ) 110
まだ 親掛かりの身ですので 176
たいへん残念ですが(断り) 178
――――――――――――――――
■Number741
(09年のスペイン代表)は各々のクラブで世界最高水準のサッカーを体験し、そこを勝ち抜いている。同じ周波数でサッカーをし、イメージを共有し、それを達成する技術もある。
( 中略 )
(ベルナベウ)に来るということは、ストーリーを既に知っている演劇を見に行くことに似てるんです。そこで重要になってくるのは、舞台に出演している役者がどんな演技をするのか、選手がどんな即興を見せてくれるのか、ということです。
(ブラトゲーニョ) 35
「MARCA紙によるアンケート」
スペインにとって最も重要な選手は誰か?
シャビ 45%
カシージャス 20%
イニエスタ 18%
ビジャ 10%
その他 7% 39P
「君が出る試合はお金を払ってでも見に行くよ」と笑顔で囁いた。一方で、その数週間後、トップチームに上がったばかりのシャビ・エルナンデスにこう告げた。
「ユースの試合を見に行ってこいよ。僕ら2人をお役ご免にするヤツがいるから。お前は僕を引退させるだろう。でも、お前はそいつに引退させられるよ」
(1999 グアルディオラ。イニエスタの出現に) 42
―― 技術的に高い選手ならフランスやオランダにもいますが、なぜスペインだけが常に高いポゼッションを保てるのでしょうか?
「ボールの受け方が上手いからだと思う。特にシャビは一度最終ラインにボールを戻すと、必ずその対角線に走っていく。ボールを受けやすいようにね。そのために長い距離を走るし、ボールを持っても正確にプレーをする。スペイン代表やバルサにはそんな選手が多い。だからシャビ、イニエスタ、トゥーレ(・ヤヤ)で作られるバルサの三角形は、なかなか抑えられない。それぞれがいろんな場所に顔を出すから、相手MFも捕まえきれないんだよね。足元の技術だけじゃなく、パスの受け方の上手さがある。メッシ、イブラヒモビッチ、アンリの3トップも重要だけど、今のバルサは中盤の3人をどうにかしないと抑えられない。アルメリアはシャビにマンマークをつけてたけど、あれは今のバルサを封じるための一つのやり方だと思う」(中村俊輔) 71
―― 2トップのビジャとトーレスは前線だけでなくサイドに張ることも多い。
「エスパニョールもそうだけど、スペインのチームはFWがサイドに広がる。FWが開いて、そこにサイドバックも上がってくる。サイドで数的優位を作って相手を崩して、最後はゴール前にシルバやシャビらMFが飛び込んでいく。ベルギー戦でも、ビジャは左サイドに開いていたし、そこから中に切れ込んでチャンスに絡んでいた」(中村俊輔) 72
■ Number742
ファンマルバイクは、国外組みに所属クラブで身につけた“外国”のリズムをリセットすることを要求した。(組織がひとつにまとまらないから) 41
キム・ジョンフン(北朝鮮代表監督)
現在の北朝鮮代表の長所は?
「死んでもやり抜く気持ち」
好物はパン。 70
ドイツW杯は <中略 ―― ONとOFFの> 切り替えがうまくできていませんでした。大会前に早めにドイツに入ったということもあって、ずっと緊張しっぱなしだった気がします。思うようにチーム作りが進まなかったこともストレスの原因になっていたと思いますね。合宿中の紅白戦でも、Bチームのほうが圧倒的に強いんで……。毎日の練習ゲームの中でとにかく相手チームに勝つことに手一杯になっていて、その度に話し合っていました。それでも前向きな結論がなかなか出なかったりして、悩むことも多かった。 ( 中略 ) 悪循環でした。(中沢佑二) 104
Football 〜2010/11
【 U-21日本×UAE 】アジア大会 男子FINAL 1-0 JAPAN優勝
【 日本×北朝鮮 】アジア大会 女子FINAL JAPAN優勝
【 U-21日本×インド 】アジア大会 11/16
【 久我山×都立駒場 】@西が丘
【 帝京×駒大付属 】@西が丘
【 U-21日本×U-21マレーシア 】アジア大会
【 U-21日本×U-21中国 】アジア大会
【 リバプール×チェルシー 】
【 チェゼーナ×ユベントス 】1-3
長友が右SBだった。勢いだけじゃいられなかったセリエAか。怖いものを知ってオトナんなるのか。 トップクラブと総合力に差があるとか、技術的に……うんぬんとかは、もちろん結果に作用するんだろうけど。そういった一切を無効化するよななにかが、開幕当初のチェゼーナにはみなぎっていたんだけれど。今じゃ褪せて勇気すらセピア色だ。吐息が青くなったらいよいよか。
【 アーセナル×ニューカッスル 】1-0でニューカッスル。190オーバーのFW、ニューカッスルのキャロルがかっこいい。ヘディングで得点。ホームでアーセナルが負けた。ファンペルシーが二ヶ月ぶりにピッチに。11/8
【 FC東京×G大阪 】
後半中盤まで東京が1-0でリードしていた。試合はG大阪のキープ力が強く前面に出ていたので、時間の問題か……危惧はあった。CKから中沢ソウタ(だったはず)のヘディングでイーブン。そのまま終わった。東京は勝ち点29で下から4位。かろうじて得失点差により神戸の上。厳しい状況は続く。11/5
【 磐田×広島 】ナビスコファイナル。2-1でビハインドの磐田、ロスタイムに前田。延長に入り山崎、前田と二点とった磐田、このまま終わりかと思われた広島が延長後半も終わり寸前で牧野のFK。直接決まる。気合入りまくりの貌。只のお調子者じゃなかった。5-3で磐田の勝利。延長からしか見られなかったのが惜しいシーソーゲームだったみたい。11/3
【 FC東京×長野バルセイロ 】5-1。LIVE
前半まではレギュラーが出場した東京。今野の奪取能力、平山のデカさなど印象に残っている。なんといっても米本の存在感。散らしがうまくなっていけば代表クラス。11/3 生・トレーニングマッチ
【 アーセナル×ウェストハム 】アーセナルが二位ではじまったゲーム。ベントナ、セスクなど故障者も戻ってきた。悪くない状態っぽかった。しかし、この日は打てども打てどもウェストハムGKグリーンの正面をついた。11/1
【 キエーヴォ×チェゼーナ 】長友、モチベーション高い。運動量も健在。ただチームが研究されてきてしまい、苦しそう。
【 ストーク×ユナイテッド 】
【 U19日本×U19韓国 】ユースW杯アジア予選の準々決勝。罵詈雑言で掲示板が燃えた試合。たしかにミス多い。横と縦パス、チャージかわされ、交代させられる選手も不満の表情。ちぐはぐ。でも、運もなかったか。GKはミス二つが失点に。ただグッドセーブもあり。2-3。二度目の予選失敗。布&牧野はもうだめだろ。10/24
LIVE【 筑波大×慶応 】初めて風間さんを見た。粒くらいのサイズだったけど、ゲームがおわってすぐグラウンドに出てって、選手全員と握手して周る姿がまぶしかった。
ゲームは2-1で筑波。終了近くの75分頃から見たので、それまでの流れはわからず。コレクティブだったっぽいのが筑波で、慶応は意外とやるなーのパスチーム。しかし慶応スタンドにはタマコシよろしくオネー線狙いのギャル率がたかく、そいつらがピッチで汗をかくケイオーBOYを射抜く視線ビームが揃って、スルーパスを逃がさないように1000%の臨戦モードにあるインザーギみたいな不穏をただよわせてた。しっかし、ほんとに居るんだな、ケイオーに群がる女たちって。クロース&メイクだけじゃなく、がっつきをどうやったら隠せるかっていう視線の勉強もしたほうがいいんじゃないか、どうせ一生飾り立てて嘘まみれの桃尻だろう、という批評ヴォイスは筑波インテリスタのはかなみ、あるいは磐梯山に練られた歎息だったのか。「なーんか西が丘いつもとスタンドの雰囲気ちがくね?」とそわつくヤングメンが何人もいておかしかった。
LIVE【 駒大×中央 】2-3。駒大が殺伐としてた。ヴェルディユースとの試合もいつもどおりだったらしい。中央は学生らしい元気はつらつ。決定力が中央にあったか。
【 レアル×ミラン 】レアル強い。中盤から前の選手が全員、ドリブル・パス・シュートにクオリティ、かつスピードあり。2-0
【 新潟×町田 】2-1で新潟。しかし、個の力、局面のグループワーク……思ったより差があった。相馬の歯軋りが聞こえてきそうなくやしみのフェイス。町田はこれからだね。東京もリーグも盛り上がるからJ2に行ってもらいたいけど、そしたら西が丘で見られなくなってしまうな。
【 柏×神戸 】 2-1(?)J1敗れる。神戸はやるきあんのかどうかよくわかんない。下位のチームはほんとにダメになっちゃうな。メンタルだね。
【 FC東京ユース×サンフレッチェ広島ユース 】高円宮杯ファイナル 1-2 いい試合だった。東京はもーちょい早い時間帯に仕かけられたら。メンタルだね。
【川崎×磐田】ナビスコ。 川崎敗れる。
A代表×アルゼンチン 1-0 ぬるぬるアルゼンチン。実力のほどはわからず。しかし岡崎のゴールは個のセンス溢れるハイクオリティな一撃だった。10/8
――――――――――――――――
FC東京×湘南
(3-0 東京は湘南が相手でよかった。みんな緊張して固く、ゴールの予感も乏しく。しかし、これできっかけを作れたら。湘南は何がしたいの……)
千葉国体少年サッカー 東京×大阪(堅守速攻の東京が2-0で。大阪はアタッカーに何人かセンス感じさせる選手がいた。)
シティ×チェルシー
シティの勝ち逃げ。なりふり構わず守り切った。インテル? ああ、それに近い。ベンチマンが半端じゃないクオリティ。金満。金肥。
ボルトン×ユナイテッド 2-2
ユナイテッドは攻撃のスペースがポジショニングのセオリーに消されてしまったようなフリーズ状態。9/27
チェゼーナ×レッチェ 1-0
サンダーランド×アーセナル 1-1
(8月以降でベストゲーム。好ゲームになる要素が豊富。サンダーランドの頑張り。)
ユナイテッド×リバプール 3-2
(前半はノロノロ。リバプール調子悪いので引きまくりに、ユナイテッドもあわせ。後半で爆発、ジェラードPKとFK、しかしベルバトフがハットトリック。今年のベルバトフは得点を狙っているらしい)
名古屋×横浜M 1-1
バーミンガム×リバプール
(リバプールぜんぜんチームになってない。空回り、持って始めて起きるアクション。イングランドは得点力よりも監督不足だね)9/16
チェゼーナ×ミラン2-0(チェゼーナはベストゲームやっちゃったんじゃないか。左FWのザッケリーニの上下運動量がはんぱじゃない。長友は助かってる。)9/13
東京×浦和 0-1
(東京きつい。がんばってるのにゴールポストにまでそっぽ向かれてる。けが人多い。ベストフォームまで遠い)
FC東京×清水 0-0
東京に運なく、西部がナイスセーブ連発。
A代表×グアテマラ
(9/7 2-1 大味。前半はシュート演習みたいなもの。グアテマラは予想よりハードだった。日本は後半ガス欠。森本が二点)
天皇杯「ヴェルディ×ゼルビア」LIVE 0-1
ナイスゲーム。ゼルビアがいい。熱意とまとまりがある。相馬のモチベーションコンディショニングがいいのか。@西が丘9/5
A代表×パラグアイ代表 1-0
香川のナイスゴール。ケンゴのスルーにフルアクセルした流れのなかでトラップ&シュート=決定、だった。覚醒?
天皇杯「ヴェルディユース×駒大」0-1 LIVE
つまんないゲーム。ガチがちの駒大ペースで終わった。@西が丘9/3
ユナイテッド×ウェストハム 9/1
( ナニがグラウンドの中腹からドリブル15m〜ペネトレイトを経てペナルティエリア外真ん中からミドルショット 4-0)
ローマ×チェゼーナ
(長友デビュー 0-0 いい動き。ぜんぜん緊張してない)
Fリーグカップ ファイナル「ベレーザ×レッズレディース」(3-2)LIVE
Fリーグオールスター 8/15(?)LIVE
ユナイテッド×ニューカッスル(2-0?)
リバプール×アーセナル(1-1)
名古屋×川崎(0-4)8/18
二日続けて大差。上位チームが負け。中二日、三日での連戦が続いてる。この猛暑のさなかに。どうなってるの?
新潟×清水(4-1)
東京×鹿島
チェルシー×WBW 6-0(プレミア開幕戦)
LIVE Fリーグ 読売×東京電力(@西が丘サッカー場)8/14 1-0
LIVE Fリーグ 浦和×神戸(@西が丘サッカー場)8/14 3-2
バルサ×バレレンガ
Amistoso de la pretemporada 2010-2011 (29/07/2010 - 19:00) バルサ4-2レレンガ 8/10
ドルトムント×マンチェスターC 2010/8月 プレシーズン 8/10
シャルケ×バイエルン 2010/8月 プレシーズン 8/8
09-10 バルサ×XER 8/9
09-10 マンチェスターU×リーズ(FAカップ) 8/3
(上記、かなりの虫食いメモ。これからはマメにやってこうじゃないか、と)
2010年11月08日
BOOK 2010年11月
アヴァン・ポップ/ラリィ・マキャフリイ 11/1
バロウズという名の男/W・S・バロウズ 山形浩生・訳 ●
ジーザス・サン/デニス・ジョンソン 柴田元幸・訳 ●
水の子どもたち 上巻/キングスレー サンバーン・絵 芹生一・訳 ●
王国/吉増剛造 ●
妖魅変成夜話3、4/岡野玲子 ●
舞姫 マンガ/森鴎外 藤丞めぐる・マンガ 11/4
ファンシイダンス 1-6/岡野玲子 ●
UMMERTIME 詩篇アマータイム/松本圭二 11/9 ●
自信を育てる心理学/ナサニエル・ブランデン 手塚郁恵・訳 11/9
李白の月/南伸坊 ●
A peanuts book featuring Snoopy2 ●
刺繍 イラン女性が語る恋愛と結婚/マルジャン・サトラピ 山岸智子&大野朗子・訳 11/18
ブブノワさんの手紙/ワルワーラ・ブブノワ 安井亮平・訳
ペルセポリス1・2/マルジャン・サトラピ 園田恵子・訳 11/18 ●
プチバンピ 学校へ行く/ジョアン・スファール 関澄かおる&F・ボワレ・訳 11/18 ●
ユーロマンガ 2-3(ニコラ・ド・クレシーの絵が好き)
水の子どもたち 下巻/キングスレー サンバーン・絵 芹生一・訳 ●
ブラッドベリはどこへゆく/レイ・ブラッドベリ 11/30
2010年10月08日
BOOK 2010年10月
心身症の治し方がわかる本/岩崎靖雄 10/1 ●
JFAnews09
自分のための人生/ウエイン・W・ダイアー 10/4
働く人の心の病/尾久裕紀
マンガ世界の伝記 ナイチンゲール
マンガ世界の伝記 シュバイツァー
マンガ 世界の歴史5 長安の都とシルクロード
マンガ 世界の歴史6 マホメットとイスラムの国々
集英社版・学習漫画/世界の伝記 ヘレン・ケラー
集英社版・学習漫画/世界の伝記 エジソン
言語表現法講義/加藤洋典 10/8
自分で治す心身症12のヒント/高橋進
H2 31-34/あだち充
心の病気がよくわかる本/田中朱美(一日20-30分のスワイショウ推奨)
ジュゼッペ・アルチンボルド TACHEN ニュー・ベーシック・アート・シリーズ1
Number762
勉強が楽しくなる マインドトップ/トニー・ブザン ●
Snoopyのもっと気楽に 4 自分らしく ●
マンガ家夢十夜/長谷邦夫(ながたくにお)
思想家の自伝を読む/上野俊哉 10/12
ブラッドベリがやってくる/レイ・ブラッドベリ 10/12 ●
吉増剛造作品集『盲いた黄金の庭』稲川方人・写真選
マンガ 世界の歴史10 エリザベス女王とルイ14世 絶対王政の時代
四月怪談 大島弓子選集8 10/16
夏の夜の獏 大島弓子選集12 10/17
銃後の花ちゃん/滝田ゆう
ユーロマンガvol.1 10/20
家族が心身症になったとき/河野友信
バーナム博物館/スティーブン・ミルハウザー
ロストハウス/大島弓子
マンガ平壌/ギィ・ドゥリール 檜垣嗣子:訳 ●
大発作/ダビッド・ベー フレデリック・ボワレ監修 10/24 ●
沈黙の艦隊 1-16/かわぐちかいじ 文庫版 ●
ポール・ジャクレー画集
アルブレヒト・デューラー画集 10/27
両国花錦闘士1-2/岡野玲子 10/29
JFAnews09
自分のための人生/ウエイン・W・ダイアー 10/4
働く人の心の病/尾久裕紀
マンガ世界の伝記 ナイチンゲール
マンガ世界の伝記 シュバイツァー
マンガ 世界の歴史5 長安の都とシルクロード
マンガ 世界の歴史6 マホメットとイスラムの国々
集英社版・学習漫画/世界の伝記 ヘレン・ケラー
集英社版・学習漫画/世界の伝記 エジソン
言語表現法講義/加藤洋典 10/8
自分で治す心身症12のヒント/高橋進
H2 31-34/あだち充
心の病気がよくわかる本/田中朱美(一日20-30分のスワイショウ推奨)
ジュゼッペ・アルチンボルド TACHEN ニュー・ベーシック・アート・シリーズ1
Number762
勉強が楽しくなる マインドトップ/トニー・ブザン ●
Snoopyのもっと気楽に 4 自分らしく ●
マンガ家夢十夜/長谷邦夫(ながたくにお)
思想家の自伝を読む/上野俊哉 10/12
ブラッドベリがやってくる/レイ・ブラッドベリ 10/12 ●
吉増剛造作品集『盲いた黄金の庭』稲川方人・写真選
マンガ 世界の歴史10 エリザベス女王とルイ14世 絶対王政の時代
四月怪談 大島弓子選集8 10/16
夏の夜の獏 大島弓子選集12 10/17
銃後の花ちゃん/滝田ゆう
ユーロマンガvol.1 10/20
家族が心身症になったとき/河野友信
バーナム博物館/スティーブン・ミルハウザー
ロストハウス/大島弓子
マンガ平壌/ギィ・ドゥリール 檜垣嗣子:訳 ●
大発作/ダビッド・ベー フレデリック・ボワレ監修 10/24 ●
沈黙の艦隊 1-16/かわぐちかいじ 文庫版 ●
ポール・ジャクレー画集
アルブレヒト・デューラー画集 10/27
両国花錦闘士1-2/岡野玲子 10/29
2010年09月08日
BOOK 2010年9月
JFA NEWS 2010/08月号
恋愛依存症/伊東明 9/1 ●
スヌーピーののんきが一番 1/シュルツ 谷川俊太郎・訳9/1 ●
共依存症 いつも他人に振りまわされる人たち/メロディ・ビーティ 村山久美子・訳 9/5 ●
落語の世界/柳家つばめ 9/9
アフリカサッカー/イアン・ホーキー 伊藤真・訳 ●
イリュージョン/リチャード・バック 佐宗鈴夫・訳 9/10
イリュージョン/リチャード・バック 村上龍・訳
(訳が固かった。強調しがたる要素や風景も、シンパシー感じる箇所なので、龍的。凄くまじめ)
『漫画』論語完全入門/森哲郎 9/11 ●
スヌーピーののんきが一番 2/シュルツ 谷川俊太郎・訳9/1 ●
日本サッカーを救う「超戦術」/風間八宏 ●
創作落語論/五代目 柳家つばめ ●
鋼の錬金術師 11〜20巻 ●
マンガ サイコセラピー入門/ナイジェル・C・ベンソン・文 ボリン・V・ルーン・絵 清水佳苗・大前泰彦・訳 小林司・監訳
マンガ 世界の歴史6 マホメットとイスラムの国々 9/17
短編小説講義/筒井康隆
H2 21-30/あだち充 9/20 ●
マンガ 心理学入門/ナイジェル・C・ベンソン・文 ボリン・V・ルーン・絵 清水佳苗・大前泰彦・訳
コンシャス・ラブ/ゲイ・ヘンドリックス キャスリン・ヘンドリックス 片山陽子・訳 9/21 ●
サッカークリニック 2010/04
マンガ世界の伝記1 野口英世 9/23
エドワード・ホッパー/ロルフ・ギュンター・レンナー TASCHEN ●
コレクションズ/ジョナサン・フランゼン 9/26 ●
紙の本が亡びるとき?/前田塁
スヌーピーののんきが一番 3/シュルツ 谷川俊太郎・訳9/30 ●
高橋悠治対談選/高橋悠治 小沼 純一・選 ●
ベストパートナーになるために 9/30
恋愛依存症/伊東明 9/1 ●
スヌーピーののんきが一番 1/シュルツ 谷川俊太郎・訳9/1 ●
共依存症 いつも他人に振りまわされる人たち/メロディ・ビーティ 村山久美子・訳 9/5 ●
落語の世界/柳家つばめ 9/9
アフリカサッカー/イアン・ホーキー 伊藤真・訳 ●
イリュージョン/リチャード・バック 佐宗鈴夫・訳 9/10
イリュージョン/リチャード・バック 村上龍・訳
(訳が固かった。強調しがたる要素や風景も、シンパシー感じる箇所なので、龍的。凄くまじめ)
『漫画』論語完全入門/森哲郎 9/11 ●
スヌーピーののんきが一番 2/シュルツ 谷川俊太郎・訳9/1 ●
日本サッカーを救う「超戦術」/風間八宏 ●
創作落語論/五代目 柳家つばめ ●
鋼の錬金術師 11〜20巻 ●
マンガ サイコセラピー入門/ナイジェル・C・ベンソン・文 ボリン・V・ルーン・絵 清水佳苗・大前泰彦・訳 小林司・監訳
マンガ 世界の歴史6 マホメットとイスラムの国々 9/17
短編小説講義/筒井康隆
H2 21-30/あだち充 9/20 ●
マンガ 心理学入門/ナイジェル・C・ベンソン・文 ボリン・V・ルーン・絵 清水佳苗・大前泰彦・訳
コンシャス・ラブ/ゲイ・ヘンドリックス キャスリン・ヘンドリックス 片山陽子・訳 9/21 ●
サッカークリニック 2010/04
マンガ世界の伝記1 野口英世 9/23
エドワード・ホッパー/ロルフ・ギュンター・レンナー TASCHEN ●
コレクションズ/ジョナサン・フランゼン 9/26 ●
紙の本が亡びるとき?/前田塁
スヌーピーののんきが一番 3/シュルツ 谷川俊太郎・訳9/30 ●
高橋悠治対談選/高橋悠治 小沼 純一・選 ●
ベストパートナーになるために 9/30
2010年08月09日
BOOK 2010年8月
世界の歴史2 アレクサンドロス大王の帝国 8/6
JFAnews 7 8/7
キャッチ=22 上/ジョーゼフ・ヘラー 8/7
世界ノンフィクション全集 (世界最悪の旅/コン・ティキ号冒険記)8/7 ●
現代オーストラリア短編小説集 下(ピーター・ケアリー)
フットボールの社会史/F・P・マグーンJr 忍足欣四郎:訳 8/10 ●
イリワッカー 上/ピーター・ケアリー 小川高義:訳
キャッチ=22/ジョーゼフ・ヘラー 飛田茂雄:訳 8/10
ヘミングウェイ短編集/西崎憲・訳 8/14
ペール・ギュント/ヘンリック・イプセン 毛利 三彌・訳 ●
世界の歴史3 マンガ 始皇帝と万里の長城 古代インド・中国
マンガ ユング深層心理学入門/石田おさむ
世界ノンフィクション全集2 ●
私の文章修行 週間朝日 8/18 ●
ニキ・デ・サンファール画集/CGM
フットボールの文化史/山本浩 ●
イプセン戯曲全集 2/千代海・訳(ペールギュント)
誘惑される意思/ジョージ・エインズリー 山形浩生・訳
サッカークリニック 2010/03 8/24
マンガ 世界の歴史4 カール大帝とジャンヌダルク(中世ヨーロッパ)
エルンスト(ART LIBRARY)/イアン・ターピン 新関公子・訳 8/25 西村書店
マンガ 精神分析学入門/アイヴァン・ワード・文 オスカー・サラーティ・画 小林司・訳 8/26
トラウマの心理学/小西聖子
マックス・エルンスト/ ペル・ジュムフェレール 椋田直子・訳 ●
マンガ 孔子の思想/蔡 志忠 和田 武司・訳 8/29
百頭女/エルンスト 8/29 ●
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世界ノンフィクション全集 (世界最悪の旅/コン・ティキ号冒険記)8/7 ●
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フットボールの社会史/F・P・マグーンJr 忍足欣四郎:訳 8/10 ●
イリワッカー 上/ピーター・ケアリー 小川高義:訳
キャッチ=22/ジョーゼフ・ヘラー 飛田茂雄:訳 8/10
ヘミングウェイ短編集/西崎憲・訳 8/14
ペール・ギュント/ヘンリック・イプセン 毛利 三彌・訳 ●
世界の歴史3 マンガ 始皇帝と万里の長城 古代インド・中国
マンガ ユング深層心理学入門/石田おさむ
世界ノンフィクション全集2 ●
私の文章修行 週間朝日 8/18 ●
ニキ・デ・サンファール画集/CGM
フットボールの文化史/山本浩 ●
イプセン戯曲全集 2/千代海・訳(ペールギュント)
誘惑される意思/ジョージ・エインズリー 山形浩生・訳
サッカークリニック 2010/03 8/24
マンガ 世界の歴史4 カール大帝とジャンヌダルク(中世ヨーロッパ)
エルンスト(ART LIBRARY)/イアン・ターピン 新関公子・訳 8/25 西村書店
マンガ 精神分析学入門/アイヴァン・ワード・文 オスカー・サラーティ・画 小林司・訳 8/26
トラウマの心理学/小西聖子
マックス・エルンスト/ ペル・ジュムフェレール 椋田直子・訳 ●
マンガ 孔子の思想/蔡 志忠 和田 武司・訳 8/29
百頭女/エルンスト 8/29 ●
2010年08月08日
BOOK 2010年7月
200X年文学の旅/柴田元幸 沼野充義 2010/7/2 ●
鋼の錬金術師 1〜10巻 ●
酔いどれ列車、モスクワ発、ペトゥシキ行/ヴェネディクト・エロフェーエフ 安岡治子 訳 7/6
狂人日記/色川武大 ●
ほら話とほんとうの話、ほんの十ほど/アラスター・グレイ
生活考察 創刊号
WORLD SOCCER KING6/25 増刊号
日本サッカーニュース6月号
青少年のための江口寿史入門/江口寿史
水木しげる 妖怪まんが鬼太郎/水木しげる
戦術に関してはこの本が最高峰/西部謙司・浅野賀一 7/14
漫画世界の歴史9 アメリカの独立と南北戦争
南米蹴球紀行/クリス・テイラー ●
漫画中国の歴史1 7/18
SWAN 1-14/有吉京子 ● ダンスール・ノーブル(女性でいうプリマ)7/26
マンガNHK 蜻蛉日記/羽崎安実
なぜベケットか/イノック・ブレイター 安達まみ:訳
マンガ ギリシア神話 1-4/里中満智子 7/27
JOHAN CRUYFF ―― Football Days ―― /PIA出版 7/22
最初の恋、最後の儀式/イアン・マキューアン
サッカークリニック 2010/2
「1対21」のサッカー原論 「個人力」を引き出す発想と技術/風間八宏
やし酒飲み/エイモス・チュツオーラ ●
2010年07月08日
BOOK 〜2010/07
ペドロ・アルモドバル 愛と欲望のマタドール/フレデリック・ストロース:編 石原陽一郎:訳
トム・マシュラー 14人のノーベル賞作家を送り出した男/日本文学出版交流センター
Number739
春の祭典/藤野幸雄
サッカーという名の戦争 日本代表、外交交渉の裏舞台/平田竹男
アンチ・ドロップアウト 簡単に死なない男たちの物語/小宮良之
春の祭典/A・カルペンティエル
ニジンスキー 神の道化/鈴木晶
春の祭典/モードリス・エクスタインズ
NARUTO 21-30/岸本斉史
早稲田文学 3号
漫画で読破 失われた時を求めて/プルースト:原作 エンターブレイン編集:作画
サッカー戦術ルネッサンス/六川亨
オシム 勝つ日本/田村修一
内藤ルネ自伝 すべてを失くして
折口信夫文芸論集
Number739
ガラスの仮面 43巻/美内すずえ
ちょっとしたものの言い方/パキラハウス
文士厨房に入る/ジュリアン・バーンズ 堤けいこ訳
ラナーク/アラスター・グレイ
2010年04月16日
アンチ・ドロップアウト 簡単に死なない男たちの物語/小宮良之
前十字靭帯断裂はリハビリも長くつらいが、実は後遺症もひどい。財前の膝には靭帯を補強するために4本のビスが今も入っている。そのため私生活では正座もままならず、冬になるとギシギシとビスが音を立てる。 p21
「自分の中で何が変わったというのはないんですよ。でも、サッカーについてとことん考えましたね。思い悩んじゃうほどに。たぶん俺は、何も考えないでプレイするために、日日考えているんだと思います」(石川直宏) p44
「でも、私は彼の愚痴には取り合わないんです。『そんなにつらいならめちゃえば?』、なんて平気で言います。彼が抱えている闇は深いから、それに構っていると家族まで引き込まれちゃうんで。 <中略> 私とふたりの娘だけは笑って、太陽みたいになって彼を照らしてあげたい <中略> 」(小澤英明の妻) p69
>>藤田俊哉
「それにしても、今日の熊本は消極的だった」
酔いの回ってきた仲間のひとりが、腑に落ちぬ戦いぶりを非難した。
「俺もなんとかしたくてさ。中盤の選手に、『もっとセカンドボールを拾いに行け』と言ったんだ。でもね『おまえが行けよ』と言い返されちゃったよ」
彼の口調は冗談めかしていたが、席にいた誰もが唖然となった。
「一体それは誰なんだ?」と腹立たしげにひとりの仲間がいきり立ち、「名前はいいじゃない」と彼は気まずそうに口を噤んだ。
「俺はその選手のために言ったつもりなんだ。だって、俺と同じことしかしなかったら、彼は絶対に俺と同じ仕事はできないし、成長だってできないわけでしょ? けど、強制はできない。プロ選手は本人が気づかないと変われないから」 p161
「後にも先にもトシヤのような2列目の選手は出てこないかもね。モリシ(森島寛晃)は近かったし、現役では柏木(陽介)が可能性を感じるけどまだまだ」(藤田を称して、名波浩) p163
「藤田と名波、セットで語られるのが好きだった。 <中略> 翼と岬みたいでさ。もちろん翼がトシヤだね。今も一瞬のスピードは落ちたけど、駆け引きのうまさはハンパない。(2009シーズン)19節の湘南戦、トシヤがワントップの試合をテレビ解説したんだけど、体は小さいし足が速いわけでもないトシヤが見事に“深さを作っていた”。相手のDFラインがずるずる下がっていくんだ。本職のFWでも深さが作れる日本人選手は少ない」(名波浩) p164
「中学のころが、ポジション争いは一番きつかった。周りの奴らがうまく見えて、実際に必ず自分よりうまい奴がいた。ただ答えがあるとしたら、自分は小4からボールを蹴り始めたころの感覚で今もサッカーを楽しめているというのはあるかな。不謹慎な言い方かもしれないけど、遊びの延長だから。楽しくて仕方ない」
藤田は今でも漫画のような展開が自分に起きるのではと密かに期待する。ある朝、目覚めると20代前半の体のキレが突然戻っている。試合に出ると3人くらいを軽々とドリブルで抜き去り、豪快なシュートを決めてしまう。大人の理性で“そんなことはありえない”と思う。その一方で、子供のままの部分の彼は“ありえなくはない”と期待を捨てず、だからこそ日々の努力を怠らない。 p168
藤田の頭の中には試合中、常に“5秒後の映像”が流れているという。このパスをこの角度で、この強さで出すことによって何が起きるか、複数のパターンが想定されている。 169
「1、2シーズンならこの世界、活躍する連中はたくさんいる。だけど、それを10年以上続けるのが真のプロ。例えば俺は小川(佳純)とのポジション争いに敗れたけど、あいつにもこう言った。『大事なのは(新人王を獲得した)次の年だぞ』って <中略> 」(藤田) p174
「最近ね、『サッカーも仕事なんだからやっぱりつらいんでしょ?』と聞いてくる人がいてね。自分の仕事がつらいから、どうにかして俺からもその愚痴を聞き出したかったみたい。俺はね、たぶんつらくなったらサッカーをやめると思う。今はさ、次の試合が楽しみで仕方ない。自分がサッカーに自信がなくなったら引退するよ。俺のベストゲームは“次の試合になる”と信じているんだ」(藤田) p175
「自分としては、次のクロアチア戦のためにチームの雰囲気を切り替えようと、必死でしたね。試合前の食事会では頑張りました。ヒデさん(中田英寿)に『ビールをつげ』と悪態をつき、みんなを驚かせて『ごめんなさい』と土下座して笑いを取ったり、ツネさん(宮本恒靖)にも『おまえは顔だけだから俺にポジションをよこせ』と言ってからまた謝りました。年下なのもあったけど、そこではしゃげるのが俺のキャラだと思っていたから。少しでも雰囲気が良くなればと。まあ、こんなこと言っちゃっていいのかな、と内心ビビっていたんですけどね」(茂庭照幸) p185
2010年04月13日
オシムのメモ/Ivica Osim _memo 2/15
■number739 イビチャ・オシム 名将への道/田村修一

Ivica Osim〜名将になるための10カ条
1.野心に溢れた仕事場を選べ
2.勇気を持って若い世代を起用せよ
3.リスクを冒せ。恐れることはない。
4.選手と“ともに生きる”ことを意識せよ。
5.粘り強く議論し、自分の望みを伝えろ。
6.思い込むな。真実は自身で探求せよ。
7.他の分野からも積極的に学べ。
8.選手より豊富な知識を持て。
9.成功のために完璧主義者となれ。
10.後世まで語れる仕事をしろ。

――他競技の監督と意見を交換するアイデアは、どこから生まれたのでしょうか?
「経験からだ。特に成功した監督との意見交換は貴重だ。 <中略> ラグビーでは、ボールは自分の後ろにしかパスできない。そのコンセプトは、サッカーにも取り入れられる <中略> 」 p20
「 <中略> 監督はもっと頻繁に会って議論すべきだ。日本人、外国人の区別なく、それぞれが自分の考えを率直に言葉にする。合同セミナーのようなものを開くのもいい。サッカーがどこに向かっているかを議論し、一緒に仕事をしてみるべきだ。そして日本で何が可能かを、真剣に話し合うべきだ」
<中略>
「議論が決定的に足りない。個人と意見を交換すれば、そこから進歩が生まれる」 p21

■日本人よ!/イヴィチャ・オシム 訳:長束恭行
「何のためにサッカーをやるのか?」という問題だ。p55
(サッカーが国全体に浸透している国がある。サッカーが人生である国もある)
日本人はどれだけサッカーに対して身を捧げているのか? 人生にとってサッカーは何を象徴するのか。日本人自身がそのことをどう考えているのか。その答えによって日本サッカーの進む道は決まる。p57(要約)
私は誰かの模倣をしないし、模倣したいとも思わない。私はこれまでの人生においてその信念を貫いてきた。 p60
一つの結論を言おう。代表メンバー選出の基準の一つは、頭の良さということだ。そしてもう一つ言うと、あと少しの自信が必要だろう。だが、私が選手に自信を注入することはしない。選手たちは自分で自分を信じなければならないし、これまでやってきたことを信じなければならないのだ。それがいざというときの支えになる。 p65
――日本人には「いつ、どうやって反応するか」が欠けている
長期にわたってほとんど自分の頭で考えることなく、むしろ監督の頭に頼って育ってきたからだ。今、少しでも自分の頭で考えるという自由を手にすると、彼らには何をやればいいのかが分かっていないようなところが頻繁に見受けられる。もしくは、いま何をやればいいのか分からず、「誰かに聞かねば」となるシーンすら見られる。p77
日本全体が陶酔感の只中にある時、政治家たちはチームのドレッシングルームを訪れた。陶酔感がある時には、誰もがそれを利用し、誰もがその場にしゃしゃり出てくる。しかし、負けてしまえば彼らはもう来ない。そして選手と監督だけが取り残される――。(p80 日韓ワールドカップ、トルコ戦の前後について)
サッカーは痙攣してるチームが負けるもの p81
「敗北の心構え」などと口にしたならば、「奴は愛国者ではないのか」とか「悲観主義者だ」とか言われてしまう。「悲観的に考えている監督や選手たちはいったい何なのだ?」と、意味もなく囃し立てられるだろう。
すべてをポジティブに考える必要はあるのだが、それは無理な話である。だから人間はできる限り客観的になる必要があるのだ。楽観主義や悲観主義、どんな方向であれ、一つの陶酔感が支配したときは危険なものなのだ。 p87
要するに問題となるのは、その選手たちがどれだけの経験を日本に持ってくるか、そしてどうやって活かしていくか、に尽きる。なぜなら、彼らが海外で学んだすべてのものを日本に持ってくることができたとしても、そのままでは模倣にすぎないからである。向こうで良いとされるすべてが、日本でも良いとは限らない。逆だってあるのだ。 p94
どうしてもネガティブなことを口にしなくてはならない時には、タイミングを選ばなくてはならないし、言える相手か、言えない相手かを見極めなくてはならない。 <中略>
改善のためのみに批判がなされるのだ。 <中略>
人を叱るというのは最も策略が必要とされる。 p112
重要なのは目的である。目的を達するまでの最善の道を探さなければならない。誰かに何かを伝えるということは、紋切り型では駄目なのだ。 p114
(「流れのなかでのファウルはすべて流して欲しい。ゴールが決まったりボールがタッチラインを割ったときなどに、カードを出すなりすればいい。現行のジャッジはディフェンス側に有利に作用し過ぎるし、ゲームをつまらなくしている。また、危険なファールについては即刻退場を求める」とオシムは言う。つづけてレフェリーに)
選手がきわどいファウルをすると、試合に出られない。しかしながら、審判はミスをしても、その次の試合もピッチに立ってジャッジしている。 <中略>
(審判は)プレーの推進者ではなく、少しづつサッカーの「ブレーキ」なっているのかもしれない。 p154

■オシムの伝言/千田善
(高温多湿の日本における、サッカー選手の疲労度)野球にたとえれば <中略> GK以外「先発完投型」のピッチャーなのだ。水曜日のナイトゲームで敢闘したピッチャーが土曜日の午後の試合にも先発する、などということは考えられない。p16・(千田 以下、C)
結婚して40年になるが、まだ家内との間にオートマティズムというのはない。それなのに選手はわずか二、三ヶ月でどうやってオートマティズムが生まれるというのだろう?(二〇〇六年十月、ガーナ戦後の記者会見)
今回は、選手同士のコミュニケーションを増やした。コミュニケーションというのは、ありすぎても少なすぎてもダメ。 <中略> (二〇〇七年二月、トレーニング合宿で)
p28
コーチ陣との会話通訳も、慣れるまではくたくたに疲れた。スタッフミーティングは、雑談やジョークを交えながらの自由な意見交換でテーマを深める「ブレーンストーミング」形式で、しかも長い。通常、月曜と金曜の午後一時から四時か五時頃まで。 <中略> (おおよそ)会議の時間の半分以上、通訳はずっとしゃべりっぱなしだ。p32・C
ユーゴスラビア代表を一九九〇年のワールドカップ・イタリア大会でベスト8、一九九二年欧州選手権では優勝候補の筆頭にあげらるところまで育てた(国連制裁で出場停止。代理で出場した予選二位のデンマークが優勝した)ところが民族紛争が激化し、連邦を構成していた六共和国のうち、九二年までにクロアチアなど四共和国が独立を宣言。多民族国家ユーゴスラビアは急速に分裂・崩壊しつつあった。一九九一年夏に本格化した武力紛争はクロアチアからボスニアに拡大し、九二年五月の会見当時、オシムさんの生まれ故郷サラエボは連日、レルビア民族主義勢力の爆撃・砲撃を受けていた。
<中略>
(辞任会見で)「どう解釈するかはみなさんの自由だ。自分から説明はしない。 <中略> 自分の町のためにしてやれるのは唯一、これ(辞任)だけだ。私がサラエボの生まれだということを思い出してほしい。そこで何が起きているかはご存知のはずだ」
<中略>
オシム監督は発言の中で「民族」や「戦争」などの政治的な言葉は意識的に使わなかった。自分が「サラエボのためにしてやれること」というのが精一杯だった。それでも「裏切り者」として民族主義者に暗殺される危険はあった。命がけの辞任会見だったのだ。(二〇〇四年にはユーゴスラビア・サッカー連盟本部でプラトビッチ事務総長が射殺されている)p63.C
進歩が速すぎるのも危ない。無理をするのは良くない。 <中略> 数学で苦手分野を克服できないでいると何年経っても同じところでつまずく。サッカーは段階を踏んで進歩していかないといけない。(二〇〇九年八月)
オシム監督のミーティングは短いと書いたが(選手を交えてのもの)、実はトレーニングも短い。一回のトレーニングは試合時間と同じほぼ九〇分。練習前後のストレッチを含めても二時間を越えることはない。
<中略> まとまった休憩時間も取らないから、選手たちは練習メニューが切り替わり次の練習の説明がおこなわれている間に、素早く水分を補給しなければならない。試合ではレフェリーが時計を止めて水を飲ませてくれるわけではない。 <中略>
同じ練習メニューをくり返さないから、選手にとっては毎回のトレーニングが「初体験」で、練習の意図や目的、自分の役割をそのつど考えなければならない。しかも、ひとつのメニューは10分で終了、長くても一五分で次のメニューに変わる。
p75・c
(現役時代のプレーは「ワルツ王シュトラウス」にたとえられたほど優雅、華麗、エレガントだったが <中略――そのトレーニングの> 即興性という点ではモダンジャズにも通じる。 メニューに選手が乗っていれば長くし、単調になれば新たな条件が次々に加えられる。 p79)・c
「もっと伸びてもらうためには、アタマを使わないでどうする」p79
オシムさんは日本代表を「エレガントなチーム」にしようと考えていた。二〇〇六年十月のインド戦後の記者会見で、オシム監督は何がエレガントなのかについて説明している。「改善点で一番重要なのは、まず落ち着いて冷静でいること。それから効果的なプレーをすること。スキル(技術)をもっと性格にすること。それらをまとめて一つの単語にするなら『エレガント』という言葉で表せる」。 <中略> しかし、就任直後から「エレガントにプレーしろ」といえば、「無駄な汗をかかずにテクニックを発揮すればいいのだ」と誤解を受けることになっただろう。
<中略>
まず「九〇分間走れる」ことを前提に、豊富な運動量で相手チームを圧倒できるサッカーをめざす。次の「走り」のクオリティを上げる。ここを土台にエレガントな要素を組み合わせていく。 <中略>
「ただ大量の水を運べばいいわけではない。おいしい水でなければならない。泉からわいたばかりの、冷たい水だ。日本にもワサビを栽培する泉があるだろう。ああいうところの水だ」p87・c
二〇〇六年九月のサウジ・イエメン遠征では、たぶん三秒ぐらい、記者会見で言葉がつまった。「選手は本当に疲れている。本当に死ぬほど疲れているのに、たたかう姿勢、あきらめない気持ちを最後まで見せてくれた」と、オシム監督の試合後の感想を通訳する途中、「死にそうなほど」ということころで、ちょっぴり涙も出た。移動中の飛行機の中では眠れないたちで、アジアの暑さにはとりわけ弱い。そうでなくとも試合の三日前ぐらいからは対戦相手の研究や、それに対応した戦術、先発メンバーをだれにするかで、オシム監督はほとんど眠らなくなる。 <中略> 死にそうなほど疲れていたのは、オシムさん、あなたではないか。p97・c
オシムさんはJリーグ観戦の際、両チームのウォーミングアップを見ただけで、試合結果を言い当てることがあった。ときにはスコアまで予想して当てた。p112・c
戦場で戦術や武器が改良されたのと同じように、サッカーの世界でも相手の裏をかき、急所を攻める戦術が発達した。「革命」を起こしたのは一九七〇年代中盤のオランダの「トータルフットボール」。全員攻撃全員守備、システムはあってないようなもので、流動的に変化し、その中心にヨハン・クライフがいた。
さらに一九八〇年代には、プレッシング戦術が発達し、サッカーはだいぶ窮屈なスポーツになった。 <中略>
(現代サッカーにおいて「オフ・ザ・ボール」の意味がかなり抜本的に変わった)残念ながら、もうロマンティックな時代ではないのだろう。 <中略> オシムさんは「美しさと効率性は両立しない。それが両立できているのはバルセロナぐらいのものだ」と語ったことがある。そのあとには「だから、オレはバルセロナのようなサッカーをめざしたい」という一言を飲み込んでいたのではないか。p115・c
「戦わずして人の兵を屈するのが善の善なる者なり」(孫子より)p117
日本人選手の多くは監督に叱られるとを恐れながらプレーするため、リスクをおかす積極性が出にくい。p125
「レアルからの監督就任要請は名誉だった <中略――ブラトゲーニョ、サンチス、イエーロ……> 自分のやりたいことより義務の方が大きいと判断した」(二〇〇九年五月、ボスニア国営テレビ)
レアルのようなビッグクラブでは戦術や選手起用法などでフロントから口出しされるのきまっている、それがいやだから <中略> 限られた予算の枠中で自分で選手を探してきたり育てたりしながら、選手たちの特性に合った、しかも自分のやりたいスタイルのサッカーをやり、その上に優勝という結果も残す、そういうやり方をオシムさんは続けてきた。p134・c
「問題は、日本人が早く判断する能力を持っているかどうかではなくて、すばやく自分で考えることが一般社会で許されているのかどうかだ。そういう習慣があるのだろうか。どうなのだろう、逆に聞いてみたいのだが?」(二〇〇六年八月、イエメン戦前)p134
サッカーは格闘技と似た部分がある。キックオフ直後、相手選手と間近に対面し「こいつ速いな」「うまいな」と感応する。その感じ方で、試合終了までの駆け引きのリズム、主導権がほぼ決まる。その際、恐怖心をひきずったままでは判断を誤る。少なくとも「自分は今、こがわっている」と自覚すれば、自分をコントロールできる。そうでなければ相手に負ける前に、恐怖心に負ける。p141・c
(オシム監督は)おとなしい「良い子ちゃん」ばかりを集めたのではない。
「ミーティングで居眠りしているやつの方が活躍することもある」とか、「エゴイズムはプレッシャーへの強さでもある。エゴイストだから外す、では監督として単純過ぎる」などと、意外性を発揮する選手への期待も、オシムさんはもっていた。p154・c
「二アポストを抜かれて失点するのはGKの責任(ファーポストの失点はDFのミスがからむことが多い)」p157・(Cによるオシムコメントの要約)
「(問題は)リフティング=テクニックという誤解に加え、それよりも大きな問題は、ボール扱いのうまい選手は走らなくてもかまわないと、大目に見られる風潮があることだ」 p165
「日本は学校も社会も、教師や上司のいうことを守り、秩序を乱さないものが『優秀』という価値観で動いているが、それではサッカーは強くならない」p165「スタジアムに到着する前に、監督の仕事の大半は終わっていなければならないと思う」p165
大事なのは同じミスをしないこと。それを学ぶことが経験を積むということだ。玄関を出入りするときに毎回つまずいて、転びそうになるならば、それはドアが悪いのではなく、つまずく方に問題がある(二〇〇九年八月)
二〇〇七年十一月十六日の朝方 <中略> 「オシムさんが倒れました」。
<中略>
大変なことになった、とは思ったが <中略> 復帰にはどれだけの日数がかかるのだろう、一ヶ月か二ヶ月か <中略> あまかった。
集中治療室に到着し、事態が容易ならざるものであることをただちに理解した。アシマ夫人は私の顔を見て「ゼンさん」といったきり、涙ばかりで言葉が出ない。前の廊下に田嶋幸三専務理事がいた。目が赤い。 <中略> 結局、十二月末まで一ヵ月半、帰宅しなかった。p173・c
病名は脳梗塞。いまのところ出血はしていない。脳圧がいま以上に高くなれば、頭蓋骨の一部をはずす手術が必要になる。 <中略> 現在、全身麻薬で眠らせ、脳を休めながら呼吸と血圧、栄養をコントロールしている。全力を尽くすが、脳が大丈夫でも肺炎などをおこすと危険な状態になる……。
先生方は「全力を尽くしています」とはいったが、「必ず助かります」とはいわなかった。生命の危険という表現で直接いうこともなかったけれど、田中先生が「今日を含めて三日間、七十二時間がヤマです」というのにはまいった。「七十二時間、クリティカル(危機的)な期間が続く」と訳しながら、ああ、オシムさんは死んでしまうのかと動揺した。p177・c
麻酔薬の投与を中止して数日 <中略> そろそろ意識を回復するというところ、通訳だけICUにお呼ばれた。 <中略> 意識を回復した場合、(患者が)パニックになることがある <中略> 落ち着かせる必要があるからだ。
<中略>
十一月下旬、CT検査のための移動の準備中、オシムさんが目を覚ました。 <中略> 夕方五時半ごろだったか。家族と対面した。アシマ夫人は「おはよう、シュワーボ。目が覚めた?」と、ここまではたぶん前もって何と言葉をかけようか考えていたセリフだったのだろうが、後は言葉にならない。 <中略> p192・c
初めて会話をしたのはその翌日か翌々日。入院から1〇日余り後、十一月末のことだった。
「試合は?」というのがオシムさんの「第一声」だったことになっている。 <中略> たぶん二七日か二八日の午後のことだ。まだオシムさんの声はかすれていて、何かしゃべろうとしているのはわかるが、家族も聞き取れない。枕元に立っていた娘のイルマさんが、オシムさんの口元に耳をつけるようにして「何かいいたいの」と聞いた。
「試合、っていった?」とイルマさん。オシムさんはうなずいている。 <中略>
ただし何の試合か、試合がどうしたのかはわからない。 <中略>
「試合」という言葉をオシムさんは間もなく、もう一度、口にすることになる。しかし、それは疑問文ではなかった。あまりにもすさまじい内容で、当時は公表することはできなかった。
「試合に行かなければ」。そう、オシムさんは語ったのだ。 <中略>
「試合に行かなければ。こんなところにぐずぐずしていられない。メンバーを選ばなければ」 <中略>
当時はすでに岡田さんの日本代表監督就任が内定していた。まさか、あなたはもう監督ではない、なんていったら、せっかく良くなりかけているのがどうなるか。家族もこの点については非常に神経質だった。
p193〜・c
移籍はサッカーにはつきものだ。(二〇〇七年十二月、順天堂浦安病院から初台リハビリ病院に転院する際)p199
オシムさんが生死の境をさまよってから六週間。「ヤマ場」を乗り越えたとき、医師団の先生方からは、早くて八週間、場合によっては三ヶ月ほどICUでの治療が必要になる可能性がある、といわれていた。それが主治医の田中先生も「奇跡です」というほどの回復。年内にここを出られるとは想像もしなかった。p202・c
回復の早さは驚異的だった。それは世界選抜に選ばれたこともあるような、超一流のプロサッカー選手として強い身体に恵まれていたこと、そしてこれもプロならではといえることだが、人知れず、ベッドの上で自主トレを続けていたせいだ。
ある日、ICUに入るとオシムさんは目を覚ましていて、気分も良さそうなのだが、顔にびっしょりと汗をかいていた。「どうしたんですか、暑いですか」と聞いたが、熱はない。
「何でもない。こっちの足が動かないかなと思ってね」。毛布の下で、ほとんど感覚もなかったはずの左足を動かそうと、必死で「自主トレ」をしていたのだ。p204・c
二月のある日、ビートルズの「ヘイ・ジュード」が流れてきた時には、オシムさんの動きが止まった。疲れたのではなく、音楽にじっくり聴き入っている。休憩時間にさしかかり、ほかの患者さんたちが引き上げていく中、オシムさんはちょっと猫背のままベンチに腰かけ、フルコーラスが終わるまで動かなかった。スタッフが声をかけねているのに気がついて、照れ隠しのようにいった。「ヘイ・ジュードは最高だな」 <中略>
ある日、ビートルズが話題になった。当時のソ連など東欧諸国では西側のロックは非合法だったが、ユーゴスラビアでは普通に聞けたという。「何の問題もなくラジオから流れてきたよ。ユーゴスラビアはそういう点では自由で、外国旅行もできた。しかも西側にも東側にもビザなしで行けた」p208・c
といってもスーパーマンではなく、やはり生身の人間。リハビリで誰もが直面するデプレッション(欝)のサイクルはオシムさんにも来た。 <中略>
たとえば一月後半には、肩のリハビリが思うように進まず <中略> ため息をついて「もうだめだ、良くなるはずがない」。涙をこらえている(ように見えた)。若い作業療法士の舟木さん、どうしていいかわからず <中略> 「僧帽筋です。僧帽筋さえうまく動けば……」とアドバイスし、励ました。
オシムさんはしばらくうつむいていたが、いきなり顔を上げてニヤリとした。「僧侶の帽子か。それなら、ローマ法王に会った時、もらってくれば良かった」
オシムさん、気持ちの切り替えが早い! 身体能力よりも何よりも、一番すごいのはメンタル・コントロール能力なのだった。p210・c
なぜ勝てないかと言えば、勝てると信じていないからだ。(二〇〇九年八月)p218
「退院してからの方が大変」という話は一般によく聞く。入院前と同じ家具、同じ部屋での生活に戻ると、あれもできない、これもできないとショックを受ける。そのため、気分が落ち込んだり、気が短くなることが多いのだそうだ。p220.c
私が何者であるかということを忘れないために、試合を見に行った。サッカーが原因で病院に行かなくてはならなくなったが、そこから戻るのもサッカーの力だった。(二〇〇八年六月、日本サッカー協会アドバイザー就任記者会見)p225
日本は監督の輸出国を目指すべきだし、選手より、監督に「海外組」が現れる方がよほど私はうれしい。日本サッカーが本物になった証しにもなる。(二〇〇七年二月)
「練習方法は練習場の金網越しでも見ていれば分かること。何が大事なのか。それはスタッフルームや選手のロッカーに入り込み、試合ではベンチに座って彼らと同じ空気を吸い、『共犯者』になることだ。それは書物を読んだり、映像を見ているだけでは分からない <中略> さまざまなプレッシャーやストレスとどう闘い、消化しているのか <中略> 」(二〇〇七年二月、日本経済新聞)p233
ティーンエイジャー時代に良い選手であるだけでは不十分。それより、多少下手でも、スピード、持久力、左利きといった特徴や武器があること、サッカーについての理解力、進歩しようという意欲、まじめかどうか、すぐに腐ったりしないか、粘り強いかなど、小手先の技術だけでなく知性や性格などの個性を把握して、判断してあげることが何よりも必要なのだ。p236・c
二〇〇八年十月の来日 <中略> ――
オシムさんはちょっと改まって感謝の言葉をのべた。「(脳梗塞で倒れた)十一月十六日は、オシムのもうひとつの誕生日だと思っています。一度死んで生き返ったから、もうすぐ満一歳。その日は日本で迎えたかった。みなさんに、あらためてありがとうと申し上げたい。年に二回の誕生日。悪くないでしょう」p240・c
(ナビスコに優勝した西野に)「おめでとうございます。ガンバらしいスタイルをこれからも貫いてください」というオシムさんに、西野監督はいった。「せっかくだから、オシムさんに聞いておこうかな。タイトルをとった次のシーズンには何を気をつけたらいいでしょう?」
オシムさんは少し考えてから、こういった。「目標を、さらに高く設定したらどうですか。選手が満足してしまわないように」p244・c
二本足で日本に来たが、杖をついて三本足で帰ることになるかも。それだけ多く足跡を残したということなら、私の財産はその杖だ。(二〇〇九年一月)p245

■イビチャ・オシムの真実/ 訳:平陽子
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料理に関してはオシムは高級志向で、食材を自分で選び、クオリティ最優先で値段は気にかけない。料理人としての彼の腕前には定評があり、特に手製ヌードル料理とトマトソースは家族に好評だ。グルメでもあるオシムは特に、皮がパリパリに焼けたローストチキンや、ラプンツェルのサラダが好物だ。もっとも、少し苦味のあるこの野菜を「人生には十分、苦みがあるから」と言って遠慮する事もたびたびある。p6
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オシムの国際的名声は彼が数年間、FIFA技術委員会のインストラクターであった事からも窺い知れる。2000年12月にオシムがサラエボで講演した時は、ラツィオ監督でかつてはイタリアの名キーパーだったディノ・ゾフを始めとしたサッカー・エキスパート達が熱心に耳を傾けていた。p7
イヴァン・オシムはシュトゥルムの選手たちにサッカーとはボールを使うものであること、テクニックを磨くことが大切であることを教えたが、これは偉業だ。何故なら、オーストリアやドイツではサッカーは今でもスペースを使うものなのだから。(トーマス・グラヴィニッチ)p15
オシムは多くを直観的に理解するし、また、彼特有の「情熱」と「懐疑」を天秤にかけた結果も多い。もう一度、オットー・バリッチに話を戻すと、彼は抜け目ないが秘密は全く持たない。オシムは対照的にとても謎めいている。彼が言うことは全くの本心ではない。かと言って、オシムは自分に嘘をついているわけではなく、自分自身にすら「距離」を置いているのだ。p19
試合運びとはつまり、それが結果的には失敗でも「ゲームをメイク」するという意味だ。90分間がひとつ歴史あるいは小ドラマに発展し、それについて考えたり話し合ったりする価値を持つ。これこそが素晴らしい「ゲーム」の真髄だ。例え最終的に物を言うのが結果であるとしても。オシムはこの「ゲーム」の観点を愛している、と私は思う。だから彼は、最終的には試合に勝ちたくとも、「ゲーム」という観点を見失うことがない。(ゲアハルト・ロート)p19

オシム将軍…… イビチャ・オシムの現役選手としてのピークは1986年のヨーロッパ選手権だった。ユーゴスラビア代表はフィレンツェでの準決勝で、ボビー・チャールトン、バンクス、ボビー・ムーアという三大スターを擁する世界チャンピオン・イングランドと戦った(ちなみに彼は同じ場所で22年後にユーゴスラビア代表としてワールドカップでアルゼンチンと戦い、PK戦の末に敗れた)。 <中略> イギリスのアナウンサーはこう叫んでいた。「気を付けろ! ユーゴの攻撃陣を統率する金髪の将軍がボールを持ったぞ!」(ズラフコ・リボバッチ)p21
サビチェビッチの感謝…… <中略――ユーゴ代表で彼とオシムとの関係は良好ではなかった。> サビチェビッチはその後、まさにスーパースターとなり、1994年にはACミランチャンピオンズカップ優勝を勝ち取った。ACミランはアテネでの決勝戦でFCバルセロナに4-0で勝利した。試合終了のホイッスルが鳴った後、サビチェビッチが最初に向かったのは、観客席にいたオシムの息子セルミルのところだった。サビチェビッチはユニフォームを脱ぎ、当時20歳のセルミルに「おまえにプレゼントだ」と渡した。サッカー選手としての最高の瞬間に、サビチェビッチはセルミルに「おまえの親父なしには、俺は今ここに立っていない。おまえの父親は誰よりも俺に多くのことを教えてくれた。でも、そのことは今になってやっとわかったんだけどな」と言ったのだ。(ズラフコ・リボバッチ)p23
試合前後…… オシムは彼が選んだメンバーが試合終了までプレーすることを一番好む。何故なら、そのイレブンはその日、その相手チームに対抗するために、彼がもっとも信頼を寄せることのできる選手だからだ。もし、出来が悪かったからと選手を交代させたら、それは不信感の表れになってしまい、選手はそれを重荷に感じる、とオシムは思っている。つまり、「一度失敗したらお前はもうお終いだ!」と言っているようなものだとして、彼はそれをなるべく避けようとする。(ズラフコ・リボバッチ)p27
[A代表のヘッドコーチだったころのオシムにたいする数少ない疑問は、選手交代のタイミングだった。もっと早く手を打つという考え方もあるのでは? かなり消耗しているように見える選手がいたり、ゲームにフィットしていないプレイヤーも、試合終了までピッチにいたりした。相手のプレースタイルが明らかになった後半、しかも体力も落ちてきている状況に、効果的な動きを期待できる選手がベンチにいても、投入されないで膠着状態が続くゲームも何度か見た。「不測の事態はいつ襲ってくるかわからない。トレーニングから、日ごろの生活から、柔軟性に富んだ準備を万端に備えておくこと」というのはオシム自身の哲学でもあったのでは? この公理を「ゲーム」に適応すれば <あらかじめ用意しいたタクティクスやシナリオが、即興に書き換えられてしまうことが「ゲーム」であるんだから、ベンチに座る選手までもを信用しているからこそ、交代に踏み切ってゲームのイニシアチブを奪取する>という方法もあるというアンサーが算出されるのでは? など、いくつか思うところもあるが、彼がああいった判断を下していたことについての一つの理由は、上に引いた箇所を読んでわかった]

彼は非常に優秀な生徒として知られており、彼が卒業した学校の本には今日、イヴァン・オシムが学校創立以来、数学の最優秀生として記されているくらいです。 <中略> 分かりやすく説明することがとても上手なのです。
私はイヴァンを40年来、知っているわけですが、昔と全く変わっていません。才能をひけらかさない、謙虚な人です。
私たちは特定の神を信じない無神論者ですが、夫と3人の子供、そしてひとりの孫は神からの贈り物だと思っています。
(妻 アシマ・オシム)p34
オシムのドリブルはまるでウインナーワルツのようにリズミカルで軽快だったので、作曲家ヨハン・シュトラウスにちなんだ「シュトラウス」という愛称が生まれた。p59
(90年 イタリア・ワールドカップの)ユーゴ代表のチーム内の雰囲気は、既に試合前にメディアによって毒されていた。例えば、ある選手が私を買収しており、私がその選手をスタメンに入れれば家や車をもらえることになっている等、とんでもなく卑劣な噂が流されていた。セルビア人対クロアチア人の戦争は既に始まっていた。選手たちと私の背中を戦場にして。そこで、私はもうどの記者とも口を聞かなかった。「おしまいだ。もう何も言うことはない」と。p100

あやふやな思惑で動くと報いを受ける。人生とはそういうものだ。p126

(98/99シーズン シュトルムがCLに初出場)
レアル・マドリー、インテル・ミラノ、スパルタク・モスクワ、それは当時のヨーロッパ最強チームだったと思う。いずれのチームも今より強力だったと私は確信している。レドンド、ミヤトビッチ、シュケル、パヌッチを擁したレアルはCLの常連だったし、インテルはロナウドが故障する前、スパルタクは完璧なコレクティブだった。グラーツでスパルタクとの初戦を2-0で落とした時、私は「これこそがトータル・フットボールだ。スパルタク以上のサッカーはあり得ない」と言ったが、その見解は今でも変わらない。有名選手はいなかったが、全員が優秀なプレーヤーだった。p137

(99/00シーズン 二年連続リーグ制覇と三回のカップ戦優勝を成し遂げたシュトゥルムは、このシーズンも、CLも戦わなければならない過密スケジュールに悩まされた。最終的にオーストリアリーグは二位でフィニッシュ。「むずかしいコンディションをよく乗り切った」とオシムはこのシーズンの成績を大きく評価するのだが……)
シュトゥルムが今後、更に成長することができるのか、それとも新体制でスタートを切るために2、3歩後退するべきかを考える時がきた。だが、急降下することは良くない。クオリティーを落とすのなら、その下降線はなだらかでなければ、そこからまた新しいものを構築することは難しい。 <中略> これだけの年月が過ぎれば、何かの変化が期待されて当然だ。そして上に行くか下に行くかだ。問題は、サポーターや観客がそれを許容できるか、ということだ。会長を始め、周囲の人々はひと休みして深呼吸するようなことは考えていない。そういった時期があって当然で、それはまた新しい経験なのだが、誰もが皆、前より低調な成績を許容できないとすれば、それは残念なことだ。p140
マンUはシュトゥルムのお手本になり得るだろうか? コレクティブという面ではイエスだ。マンUではひとりの選手が目立つということはない。メディアはデビッド・ベッカムを引き立てようとしているが、彼はチームの一員として振る舞っている。マンUでは全メンバーが一級品であり、他より劣っている選手は誰ひとりいない。マンUが実践していることはシュトゥルムにとっては夢のようだ。それは独自の哲学である。マンUには素晴らしい若手育成プログラムがあり、そこではサッカーにおける行儀作法が叩き込まれる。それはサッカー選手としての生き方でもある。シュトゥルムの対戦相手となったいくつかのチームは私たちを格下のチームと見くびっていたが、マンUはそれをしなかった。p147
ヨーロッパ滞在中に必ず質問されるのが、日本人選手とヨーロッパ人選手の基本的な違いである。肉体的条件では簡単な話で、日本人は生まれつき小柄であるということ。これは確かに、現代サッカーにおいてはカバーすることが難しいデメリットである。しかし日本人選手は別のクオリティーを有する。それは他国選手より大きなクオリティーでもあり得る。端的に言えば、日本人選手はとてもスピードがあり、極めて敏捷で、また技術的に優れている。
<中略――ポジティブな要素――両足で上手にプレーできたり、ヘディングが巧み、学習能力が高い、向上心がある、練習場から追い出さなければならないほど熱心。試合の準備段階においても綿密な作業、最高レベルのスカウティング、「最高レベルのスパイ活動(オシム談)各選手の長所と短所について厳密な分析がされる」。ヨーロッパのような歴史をもたないことで過小評価されているが、Jリーグの試合テンポはとてもスピーディで、選手の技術水準は高いし、スタジアムは最新設備を備える。ヨーロッパのクラブと直接対戦できる機会が、Jリーグが向上する近道>
(以下、ブロックより抽出訳)しかし障害がある。厳しい上下関係。日本人選手は一人で何かを決定してはいけないように写る。ピッチ上で抜群の運動量を誇る選手でも、なにかアクションを起こしてフィニッシュまで持っていくという大きな責任を伴う場面になると、監督の許可を得たがる印象が強く残る。このピッチ上の行動様式はこの国での日常を反映するものだ。誰もが常に口を挟もうとすれば共同生活は難しいわけだが、サッカーにとっては非常に残念というほかない。「サッカーはインプロヴィゼーションが命だからだ。」
「更なる現象としては、日本のサッカーが今まで一度も独自の道を模索しなかったことがある。」日本はすべてをコピーしようとする傾向がある。イギリス人になるのもブラジル人になるのも無理なこと。真似はどこまでいっても真似でしかない。日本のレベルはあがった。いまや誰かの真似は必要でないのだ。独自の道を探るべきだ。自分自身の人生観の探求を、追及を。
(上記 p158〜)
勝つためのサッカーには、「スピード」が前提条件のひとつだ。
<中略>
さて、「スピード」(というテーマだが)「速くプレーする」とか「速い」とはどういう意味だろうか? それは別に、相手選手より速く走れることを意味しない。実際、足が遅い名選手だってたくさんいる。私が意味するところの「スピード」とは素早く考えて、迅速に判断することである。これもひとつの「速さ」だ。(「速さ」は現代サッカーでますます重要性を高めている)
サッカーは基本的に3つの要素から構成されるパズルだと私は考える。プレー、戦術、フィジカル・コンディションの3つのうち、ひとつしか満たさないのでは少な過ぎるだろう。ただし、「戦術」はちょっとした特別な位置を占めている。つまり、戦術はふたつのチームの違いを引き立てるし、弱い方のチームが勝つことに貢献することもできる。 <中略> しかし3つの要素が相互作用しなければならない。p165
サッカー選手に自分の弱点を克服する時間があるかどうか。 <中略> 選手の指導者全員の責任であり、また、ジャーナリストも同罪だ。皆が若い選手を見たがっている。しばらく脚光を浴びたとしても、欠点はあとあと表面化してくる。p165
日本人選手は非常によく練習する。し過ぎなほど。ただ、それらがひとりよがりな努力ではないか? やたらと汗を流せばよいのではない。ゲームに勝つための。弱者が強者と渡り合うための。戦術にフィットしチームをフレキシブルに牽引できるような、コレクティブなテクニックが要る。これは若いうちに体得しておくべき技術だ。サッカーは更に大きく前進するために一歩後退しなければならない。p166
私に言わせれば、2006年のドイツ・ワールドカップにおける日本代表への期待はあまりにも大き過ぎた。メディアの大部分は真相を知りながらも、正当な根拠のない報道で陶酔感を広めていた。 <中略> 日本代表はあまりにも簡単に予選を通過し過ぎたかもしれない。加えて、ワールドカップ開幕前のドイツとの親善試合(2-2)は日本代表にとって裏目に出た。それは「美しい虚偽」だった。 <中略> 真相は全く別だった。 <中略――ブラジルは言うまでもなく> クロアチアは欧州トップリーグに所属する選手を少なくとも10人は擁していたし、オーストラリアの選手6人はプレミアリーグでプレーしている。これらふたつのチームを過小評価する理由がどこにあったというのだろう? p171
さて、2010年の南アフリカ大会は特定の理由から非常に面白いものになるだろう。全試合が人工芝のピッチで行われる予定である。 <中略――人工芝には批判的な意見が多いが> 私は逆に、このようなピッチはサッカーにとって新しいチャンスになると思う。タックルが少なくなり、コンビネーションプレーが強化されるに違いない。技術的なレベルの高いチームにとっては有利だ。ゲームのスピードもあがる。いずれもサッカーが発展していく方向と一緒だ。p172
(EUは、誰がいつどのようにEU圏内に入れるかという規定を作ったが)それが民主主義なのか? EUはEU以外の国から自己防衛したいだけの話だ。EUは悪者から身を守っているつもりだが、それは正しくない。

サラエボでの私の戦争体験/アシマ・オシム
私は人の名前を全て忘れてしまいます。戦争以来、人の名前を覚えることができなくなりました。 <中略> 長年の精神的プレッシャーや恐怖から名前を忘れてしまう病気があるそうです。 <中略> 私ひとりではありません。子供たちも同様ですが、すぐに回復します。p202
1992年、イヴァンがユーゴスラビア代表監督に就任し <中略> 四月、末息子のセルミル(当時18歳)が「パパと一緒にベオグラードに行って、卒業試験のための新しいスーツを買ってくる」と言いました。 それは土曜日のことで <中略> イヴァンは、空港に人が溢れていたので驚き、皆がどこかへ行こうとしていました。サラエボでなにが起こっていたのか? イヴァンは日曜日にセルミルとベオグラードに発ちました。そして翌日にサラエボ攻撃が始まり、私は数年間、ふたりに会うことができませんでした。
1992年5月2日、私はセルミルと電話で話をすることができました。
「よくお聞き、セルミル。お前と話すのはこれが最後かもしれない」
戦時中、たまに無線を通じてイヴァンと話すことができました。でもこれは非常に危険なので、朝の4時まで待機しなければなりませんでした。会話はあらゆる人々に盗聴されていました。「とても元気。そんなにひどい状態じゃないわ」私は嘘をつく以外にありませんでした。
戦争でとても奇妙だったことがあります。
女たちは皆、いつも綺麗な洋服を着て、お化粧をしていたのです。
私は「死ぬ時もせめて美しくありたい」と思いました。
私はアメリカ特務大使の取りなしによって戦火のサラエボを離れることもできました。それなのに私は「逃げたりしない。ここに残ります」と言いました。私の故郷を見殺しにすることはできなかったのです。
戦時中、十五キロ痩せました。
二年間、外に出ることがありませんでした。
政治家たちは「もうすぐ我々は自由になる」と言っていた。
そのときまで四年かかりました。
この戦争で全く理解不能だったことは、誰が誰と戦っているか全く分からなかったことです。ボスニア全土に色々な民族がいたのですから。家族全員がひとつの民族やひとつの宗教からなっている「純血家族」なんていませんでした。 <中略> 私達の家は建物の3階にありました。お隣さんはロシア正教でその奥さんはセルビア人でした。その他にクロアチア人がふたり住んでいて、そのまた隣はモンテネグロ出身で奥さんはダルマチア人でした。
(イルマの「ママ、いい加減に逃げて。パパはもう二年半も待っているのよ。パパはママを必要としている」という説得に)祖国を後にする時、数多くのことが私の頭の中をよぎりました。 <中略> ウィーン15区にある私の姉の家に向かいました。それから間もなくイヴァンがやってきました。私達は呆然として、そして何となく距離を置いて、見つめ合いました。イヴァンが私を誰か知らない人と思っているような気がしました。私は15キロも痩せていたのですから。
(アシマのダイアローグ。p211〜 抽出要約の箇所あり)
訳者あとがき/平陽子
2006年ドイツ・ワールドカップ期間中、日本代表で仕事をするという好機に恵まれました。 <中略> しかし、ボン合宿中に私が垣間見たものは、部屋のテレビに日本製ゲーム機が接続できないから困るとか、ドイツの魚は臭みがあるから食べられないとか <中略> 宿舎に詰めていた警備員がある時、「日本人というのは闘争心あふれる立派な国民だと思っていたのに、試合を見たら全然違うじゃないか! 負けて宿舎に戻ってきてもヘラヘラ笑っているし、朝方まで部屋で騒いだりしているし、一体どうなっているんだ?」と率直な疑問をぶつけてきました。彼は、スイスとのプレーオフに負けてワールドカップ出場を逃したトルコからの移民でした。

■オシムに学ぶ/「週間サッカーマガジン」編集部
対等以上の相手なら、ディフェンスの選手は守ることを第一に考えていい。しかし、この日のイエメンのように相手が徹底して引いて守っている場合、ディフェンスはいつものプレーをしていては駄目なわけで、そのあたりの判断のあいまいさ、そして臨機応変のプレーができないことをオシムは嘆いたのだ。p19
「初戦の西ドイツ戦はわざと負けたんだ」
<中略>
「 <中略――オシムが率いた90W杯のユーゴ代表には> ストイコビッチ、スシッチ、サビチェビッチ、プロシネツキ(という優れたタレントたち)がいたが <中略――当時のユーゴのメディアは四人同時期用を求めていた> このメンバーでは戦えないことをメディアに分からせるために <中略――西ドイツ戦では> スシッチ、ストイコビッチ、サビチェビッチをスタメンで、プロシネツキも途中から入れた <中略> このやり方で勝てないことは分かっていた。 <中略> いい選手を11人使ったから勝てるというものではない」p52
「ジェフに足りない経験というのは、ひとつ何かを成し遂げるということ。何かを成し遂げるためには、選手のキャラクターがもっと必要。私がジェフの監督になって3年になるが、実際にジェフというのはそれまで中位に甘んじていた。だったらいっそのこと、中位じゃなくてもっと下で一部残留争いをしていたり、2部に落ちていたほうが、自分たちはやるべきだっていう気持ちになっていたかもしれない。ちょっとしたことで満足してしまっているというメンタリティーが感じられる。中間順位で、上でもなく下でもなく、穏やかな人生で、それにはまっている選手が多い」p102
2005年8月27日 Jリーグ代21節(新潟・ビッグスワン) 1-1新潟アルビレックス
「普通、疲れているときはアイデアを出すのは難しい。だから後半途中から入ってフレッシュだった工藤はアイデアを発揮したし、ゴールを奪ったこととは別に、林もクリエイティブなプレーをしたと思う。オールスターの投票で私が一位にいるのは、私が年を取っているので、みなさん同情してくれているだけだろう」p189
2006年3月5日 Jリーグ代1節(さいたま・埼玉) 2-4大宮アルディージャ
「何人かの選手は一人前になったと思っている。ナビスコカップの優勝でうぬぼれが生じている。忘れるべきだ。終わったことだ。カップ戦で優勝したら、本来はその後の試合で走ってその力を証明していかなければならない。もちろん、そのことは選手に伝えたし、目を覚ましてほしい」p198
[ Number730/Osim LESSON vol.4 ]
――バルサの優勝の意味を、どう捉えていますか?(田村修一:以下、問いかけ同)
「彼らがなぜこういうプレーをして、他のチームにはそれができないのかを追求していくべきだ。バルセロナと同レベルの選手を獲得しても、バルセロナのようにはプレーしない。一方、バルセロナは、スタイルも観客もスタジアムも変わらない。それが伝統であり、誰が監督になっても、彼らは自らのスタイルを変えない」
p103
――リバプールでは、ベニテスがスペイン人を呼んで成功しましたが。
「彼はチームの構造を完全に変えた。つまりプレースタイルやメンタリティを変えたわけだ。今のリバプールはスペインのチームだ。アーセナルも同じで、スペイン人やフランス人が中心だ。ボールをきっちりつなげるチームができたのは、イングランドによってよかった。リバプールは今季、優勝こそ逃したが、マンU以上に素晴らしいサッカーを実践した。全員がスター選手であるにも関わらずだ。ベニテスは、グループをコレクティブに強化することに成功した」
――同じことをやろうとしてスコラーリは、チェルシーで失敗しました。
「<--->選手の特徴を生かすために、彼らに合ったスタイルを監督は模索すべきだ。チェルシーならフィジカルの強さだが、スコラーリが目指したのは別の方向だった」
――ヒディングは違っていたのですね。
「彼は戦術をうまくチームにフィットさせた」
p103
――今季のレアルとバルサは対照的でした。
「彼らはすべてを持っているが急降下した」
――シュスターが失敗した理由を説明できますか?
「それこそレアルに関する最大の疑問だ。<--->クラブ首脳が、チームを統括する成熟した術を持っていないことを示している」
――レアルの内部政治は、常に複雑ではないですか?
「内部にそれだけの利益があるからだ。<--->レアルはちょっと遠くまで行きすぎた」
――スポーツの範囲を超えている。
「そうだ。もはやスポーツではない。スペインの政治が、内部にすべて詰まっている。バイエルンも同様で、ビッグクラブには多かれ少なかれ国の政治が反映される」
現代において、フットボールはどこへ行くのか。オシムはそのモデルを求るべく、今季CLの優勝をマンUに望んだのだろう。だが、それは果たされなかった。ならばバルサが、新しい道を示すことになるのか。
「それはまだわからない」とオシム。
彼の模索は続く。(田村)
■うるぐすインタビュー 2009 4/18&19

・一日に三試合は見ている
・サッカーはビジネス、仕事。アドバイザーとしても日本には居られなかった。それだけ身体が危険だった。ストレスがあったらならなかった
・中心選手である中村と遠藤ふたりのフィジカルを鍛えるだけでチームはぐんとタフになるだろう
・日本人のテクニックは試合に有効でない。必要なのは動きながらのテク、スプリントしながらのパス、ジャンプしているときの明晰な思考……ゲームを戦っている最中に捻出するアイデア、インテリジェンス……
・日本選手はゴール前で何をしたらいいか分かっていないのではないか
・日本には機敏にナナメに動ける小さな選手がいる。これはパワーポイント
・巻は戦士です。おそらく彼は、戦うということを、いちいち考えたりしないでしょう
・一番好きな日本人選手は水野晃樹(あんなに苦言呈しまくりだったのに!最も才能を感じていただなんて!いい話だ!)
・日本は様々な分野で世界トップレベルなのに、どうしてサッカーは?と、ずっと考え続けています。いまでも。神風と切腹……メンタルの素質はあるはずです(神風と切腹は、いわゆる、南米や西洋のフットボーラーが試合を戦う、相手を殺すようにボールを奪いゴールを狙うのとは全然違う原理が働いているが……どうしても勝ちたい、なら、神風だろうが切腹だろうがどんな異形の禁忌のメンタリティだって使う、自失して身を魂を命を投げ打ってお国のためにアノ人のために!とならない日本サッカーチーム、平和な国のプロスポーツ?だけど、野球や柔道や水泳は金メダルを取る)
・日本のサッカーレベルをあげるには?の質問に、審判をドイツやイングランドに派遣(留学)するとよいでしょう。国際経験が不足しているのはなにも選手だけでない
・サッカー選手のことをとやかくいう、あなたがたメディアの人間だって、自分を信じることができていますか?自分を信じていない人間が相手を信じることができますか?批判も必要だが、ファンもメディアも、選手を信じる、クラブやチームを信じる気持ちが大事だと思います
・ピッチ上ではアイデアを探しリスクを負う、そういったタイミングを自ら探さなくてはなりません
・サッカーとは、人生を難しく生きることです
・そして自分だけの武器を得て、いつでもゲームにユニークネスを発揮できること
・サッカーは二面性を持っています。華やかで暗い。美しくて猛々しい
・多文化のようなサッカー・チームでなければ

NUMBER 725 〜OSIM LESSON2
「ビッグクラブの悲劇を繰り返すな」
田村――Jリーグは、よい方向に進んでいるのでしょうか
オシム――そう思う。多くの若手がトップチームでプレーするようになった。J2にも有望な選手がたくさんいる。リーグに必要なのは飢えている選手であり、野心に溢れる選手たちだ。若手やJ2の選手は、進歩への強い意志を持っている。それが希望と可能性を与える。才能あるものにはチャンスを与える。進歩する気のない選手、走るべきときに走らず、戦いを回避したがるベテランは要らない。必要なのは、メンタリティを変えることだ。日本はすべてが整い過ぎている。恵まれた環境で暮らしていると、自分を変えていくのは難しく、少し困難な状況に直面すると簡単に諦めたがるが、それでは進歩が生まれない。常に難しい状況に生き、その中でプレーすることを学ばねばならない。p42--(要約)
日本代表×オーストラリア戦に必要だったのは構築者だ。中村や遠藤は非常に優れているし、田中も大久保も松井も運動量があってスピードがあるが、巧く、速く、軽い選手だけでは試合に勝てない。たとえば前線で身体を張れる選手が要る。ただし、選手は責められない。小さいのは彼等の過ちではない。あの試合、彼らはやれることをトライした。ただ、あの構成では相手のディフェンスを破れないということだ。
クロスの質やコンビネーションに議論の余地はあるものの、内田も長友も一試合に十回以上サイドを全力でダッシュできる。それだけで凄いことであって、だからこそ報われなければならないのだが、果たしてチームにそういった意識があったか、工夫があったのか。これはピクシーも同じことを言っていたが、日本の選手は重要な試合や決定的な局面において普段どおりのプレーができなくなる。メンタルの準備が足りないからプレッシャーに耐えられないのだ。試合の意味をよく考える。そこから準備は始まっている。
サッカーは運や偶然に大きく左右されるスポーツで、それが他の競技とはちがう。勝っている試合を失うことも、負けたはずの試合に勝利することもある。運命を受け入れることは難しい。だからこそメンタルを強くすること、強い性格を作り上げることが大事なんだ。p44--(要約)

■NUMBER 722
田村――(ジェフでは)全体が若く、経験不足の感は否めませんでした。
オシム――だからチャンピオンになれなかった。というのもベテランは、自分たちがチャンピオンになれるとは思っていなかった。最初から野心がなく、平凡なプレーしかしようとしない。あるレベルに達すると、そこから先に行こうという気がない。
若手は進歩し続けたが、高いレベルに達したときに恐れを抱き始めた。彼らもまた、そこから先に行く勇気を持てなかった」p22
オシム――サッカーを真剣に捉える。誰もがメッシやロナウジーニョではないのだから、より真剣に、よりコレクティブにプレーする。ヨーロッパのビッグクラブは、日本よりもプレーにディシプリンがあるし、それを語る場合も日本よりも緻密だ。
田村――たしかに緻密さが違います。
オシム――日本人にディシプリンがあるというのは、私はどうかと思う。たしかにあなた方の社会は、誰もが丁寧に挨拶はする。だがそれは、戦術的ディシプリンとはなんら関係がない。ビッグクラブと他を隔てているのは、ほとんどこの戦術的ディシプリンだけだ。そうであるからビッグゲームはときに面白みに欠ける。試合前から、何が起こるかをほとんど予測できるからだ。<--->
田村――本質を見抜き、それを実現することですね。
オシム――<--->サッカーには対戦相手が必ずいて、彼らはわれわれにとっては破壊者だ。p23
木村元彦――オシムさん自身は選手個人を呼んで「お前に期待してるぞ」などとは言わない人だった。もちろん言葉の重要性も分かっているんだけど、安易に言葉に頼らない人だったと思うんですよね。
間瀬秀一――ああ、それは絶対そうですね。<--->暗黙の了解ができてくる<--->突然コーチが<--->僕が出したボールにも<--->通訳なのに<--->選手は僕が出したボールに対して普通に攻めるし、守る。<--->それがオシムさんの練習でしたね」
木村――自身が指導者を目指すにあって、監督の言葉というものをどうとらえているのか、またオシムさんとのかかわりのなかで何を蓄積しましたか。
間瀬――大事なのは言葉の数じゃないということ。時と場所と場合を選ぶということ。あともうひとつは、決断するのは選手であって、最後の余白の部分は残しておかなくちゃいけないということ<--->
木村――判断の部分は上位伝達であってはいけない。
間瀬――そうですね。<--->週末の対戦相手のために一週間準備をして<--->ほとんどの指導者がやってる<--->オシムさんが違うのは<--->なにが起こっても対応できるように日々練習しておく<--->」p26(オシムは次の対戦相手を想定した練習はやらなかったらしい)
自分の考えている生き方を、サッカーを通して表現する。あの人がとらえているサッカーは本当に奥が深い。オシムさんは日本にいろんなメッセージを残してくれた。あとはどれだけ我々がそれを感じて、次につなげられるかではないでしょうか。p27(祖母井秀隆
■NUMBER 715
田村修一――練習メニューを組む上で一番意識されていた点は何ですか?あなたの練習は複雑で、選手に考える癖をつけさせようとするものでしたが。
オシム――「練習というものは、誰に何を教えるかをはっきり理解した上で行われるべきだ。それには明日、何が起こるかを予測する能力が必要になる。試合で何が起こっても、練習で準備していれば何の問題もない。つまり、考えるべきは今日ではなく明日のことだ。そこがわかっていれば、コーチの仕事は自ずと決まってくる。
また、選手は小さな子どもと同じで、信頼されてないと思えば不安になる。彼らに必要なアドバイスを与え、集中して働ける環境を作り出さねばならない」
T――だからこそ信頼関係が必要なわけですね。
O――「信頼関係がなければ監督は働けない。選手を指示通りにプレーさせるために必要な、権威を失っているからだ。選手はそのあたりの微妙な関係を、抜け目なく察して行動する。監督がフロントの信頼を失っても同じだ。選手は熱心に練習しなくなり、プレーも悪くなっていく」
T――選手を固定することが比較的多かったのも、彼らに信頼感を与えるためだったと。
O――そう。私がつねに同じメンバーを先発させているのだということを、彼らに理解させたかった。そしてどうして自分は先発なのか、あるいはサブなのかを、よく考えてほしかった。それを知ることが、信頼のおけるグループを作るうえで重要だからだ」p29
T――あなたが目指した日本と(EUROに勝った)スペインの間には、類似点が多くあるように見えます。
O――いや、それより違いにこそ目を向けるべkぢあ。日本にはスペインのような選手はいない。走りの量も質も違うし、テクニックのレベルも違う。ここをどう埋めるか。現状では練習で動きの質を上げていく以外にない。p30
T――あなたにとって、明日のサッカーとは具体的にどういうものでしょうか?
O――スペクタクルだ。明日のサッカー亜h、スピーディでダイナミックな、演劇的要素の強いものになっていくだろう。速い判断とボール処理。そして動き。生活のスピードアップに呼応して、サッカーもまたさらに速くなる。p32
T――日本サッカーは、これから何を目指すべきでしょう。
O――日本人が優れているのはモビリティだ。またディシプリンもある。それらをいつどんなときに、どういうやり方で発揮するのか。そこを考えるべきだ。
身体サイズでは、日本人は外国人にかなわない。だがずっと俊敏に動くことができる。そのスピードに見合ったテクニックを身につけることができれば……。ちょっと心配なのは、若い選手たちを見ていると、彼らの持つテクニックが、実戦に役立つものからは程遠いことだ。<--->卓越した天才的テクニックを持つことが、君たちの目指すべき道ではない。彼らはノーマルに成長させないといけない。
T――ノーマルに、とは?
O――子どもが成長するように時間をかけて、ということだ。早く育ち過ぎると、壁を乗り越える力を得られなくなる。ちやほやされて自分を勘違いし、過信して努力もしなくなる。<--->とにかく理想の姿を早いうちから追い求めるべきではない。それはやがて彼らにコンプレックスを与えることになる。出来ないことを求められても、強迫観念を得るだけだ。リアリストになって、自分を正しく評価すること。そこからすべてがはじまるのだから。p32
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2009-03-21
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Ivica Osim〜名将になるための10カ条
1.野心に溢れた仕事場を選べ
2.勇気を持って若い世代を起用せよ
3.リスクを冒せ。恐れることはない。
4.選手と“ともに生きる”ことを意識せよ。
5.粘り強く議論し、自分の望みを伝えろ。
6.思い込むな。真実は自身で探求せよ。
7.他の分野からも積極的に学べ。
8.選手より豊富な知識を持て。
9.成功のために完璧主義者となれ。
10.後世まで語れる仕事をしろ。

――他競技の監督と意見を交換するアイデアは、どこから生まれたのでしょうか?
「経験からだ。特に成功した監督との意見交換は貴重だ。 <中略> ラグビーでは、ボールは自分の後ろにしかパスできない。そのコンセプトは、サッカーにも取り入れられる <中略> 」 p20
「 <中略> 監督はもっと頻繁に会って議論すべきだ。日本人、外国人の区別なく、それぞれが自分の考えを率直に言葉にする。合同セミナーのようなものを開くのもいい。サッカーがどこに向かっているかを議論し、一緒に仕事をしてみるべきだ。そして日本で何が可能かを、真剣に話し合うべきだ」
<中略>
「議論が決定的に足りない。個人と意見を交換すれば、そこから進歩が生まれる」 p21
■日本人よ!/イヴィチャ・オシム 訳:長束恭行
「何のためにサッカーをやるのか?」という問題だ。p55
(サッカーが国全体に浸透している国がある。サッカーが人生である国もある)
日本人はどれだけサッカーに対して身を捧げているのか? 人生にとってサッカーは何を象徴するのか。日本人自身がそのことをどう考えているのか。その答えによって日本サッカーの進む道は決まる。p57(要約)
私は誰かの模倣をしないし、模倣したいとも思わない。私はこれまでの人生においてその信念を貫いてきた。 p60
一つの結論を言おう。代表メンバー選出の基準の一つは、頭の良さということだ。そしてもう一つ言うと、あと少しの自信が必要だろう。だが、私が選手に自信を注入することはしない。選手たちは自分で自分を信じなければならないし、これまでやってきたことを信じなければならないのだ。それがいざというときの支えになる。 p65
――日本人には「いつ、どうやって反応するか」が欠けている
長期にわたってほとんど自分の頭で考えることなく、むしろ監督の頭に頼って育ってきたからだ。今、少しでも自分の頭で考えるという自由を手にすると、彼らには何をやればいいのかが分かっていないようなところが頻繁に見受けられる。もしくは、いま何をやればいいのか分からず、「誰かに聞かねば」となるシーンすら見られる。p77
日本全体が陶酔感の只中にある時、政治家たちはチームのドレッシングルームを訪れた。陶酔感がある時には、誰もがそれを利用し、誰もがその場にしゃしゃり出てくる。しかし、負けてしまえば彼らはもう来ない。そして選手と監督だけが取り残される――。(p80 日韓ワールドカップ、トルコ戦の前後について)
サッカーは痙攣してるチームが負けるもの p81
「敗北の心構え」などと口にしたならば、「奴は愛国者ではないのか」とか「悲観主義者だ」とか言われてしまう。「悲観的に考えている監督や選手たちはいったい何なのだ?」と、意味もなく囃し立てられるだろう。
すべてをポジティブに考える必要はあるのだが、それは無理な話である。だから人間はできる限り客観的になる必要があるのだ。楽観主義や悲観主義、どんな方向であれ、一つの陶酔感が支配したときは危険なものなのだ。 p87
要するに問題となるのは、その選手たちがどれだけの経験を日本に持ってくるか、そしてどうやって活かしていくか、に尽きる。なぜなら、彼らが海外で学んだすべてのものを日本に持ってくることができたとしても、そのままでは模倣にすぎないからである。向こうで良いとされるすべてが、日本でも良いとは限らない。逆だってあるのだ。 p94
どうしてもネガティブなことを口にしなくてはならない時には、タイミングを選ばなくてはならないし、言える相手か、言えない相手かを見極めなくてはならない。 <中略>
改善のためのみに批判がなされるのだ。 <中略>
人を叱るというのは最も策略が必要とされる。 p112
重要なのは目的である。目的を達するまでの最善の道を探さなければならない。誰かに何かを伝えるということは、紋切り型では駄目なのだ。 p114
(「流れのなかでのファウルはすべて流して欲しい。ゴールが決まったりボールがタッチラインを割ったときなどに、カードを出すなりすればいい。現行のジャッジはディフェンス側に有利に作用し過ぎるし、ゲームをつまらなくしている。また、危険なファールについては即刻退場を求める」とオシムは言う。つづけてレフェリーに)
選手がきわどいファウルをすると、試合に出られない。しかしながら、審判はミスをしても、その次の試合もピッチに立ってジャッジしている。 <中略>
(審判は)プレーの推進者ではなく、少しづつサッカーの「ブレーキ」なっているのかもしれない。 p154
■オシムの伝言/千田善
(高温多湿の日本における、サッカー選手の疲労度)野球にたとえれば <中略> GK以外「先発完投型」のピッチャーなのだ。水曜日のナイトゲームで敢闘したピッチャーが土曜日の午後の試合にも先発する、などということは考えられない。p16・(千田 以下、C)
結婚して40年になるが、まだ家内との間にオートマティズムというのはない。それなのに選手はわずか二、三ヶ月でどうやってオートマティズムが生まれるというのだろう?(二〇〇六年十月、ガーナ戦後の記者会見)
今回は、選手同士のコミュニケーションを増やした。コミュニケーションというのは、ありすぎても少なすぎてもダメ。 <中略> (二〇〇七年二月、トレーニング合宿で)
p28
コーチ陣との会話通訳も、慣れるまではくたくたに疲れた。スタッフミーティングは、雑談やジョークを交えながらの自由な意見交換でテーマを深める「ブレーンストーミング」形式で、しかも長い。通常、月曜と金曜の午後一時から四時か五時頃まで。 <中略> (おおよそ)会議の時間の半分以上、通訳はずっとしゃべりっぱなしだ。p32・C
ユーゴスラビア代表を一九九〇年のワールドカップ・イタリア大会でベスト8、一九九二年欧州選手権では優勝候補の筆頭にあげらるところまで育てた(国連制裁で出場停止。代理で出場した予選二位のデンマークが優勝した)ところが民族紛争が激化し、連邦を構成していた六共和国のうち、九二年までにクロアチアなど四共和国が独立を宣言。多民族国家ユーゴスラビアは急速に分裂・崩壊しつつあった。一九九一年夏に本格化した武力紛争はクロアチアからボスニアに拡大し、九二年五月の会見当時、オシムさんの生まれ故郷サラエボは連日、レルビア民族主義勢力の爆撃・砲撃を受けていた。
<中略>
(辞任会見で)「どう解釈するかはみなさんの自由だ。自分から説明はしない。 <中略> 自分の町のためにしてやれるのは唯一、これ(辞任)だけだ。私がサラエボの生まれだということを思い出してほしい。そこで何が起きているかはご存知のはずだ」
<中略>
オシム監督は発言の中で「民族」や「戦争」などの政治的な言葉は意識的に使わなかった。自分が「サラエボのためにしてやれること」というのが精一杯だった。それでも「裏切り者」として民族主義者に暗殺される危険はあった。命がけの辞任会見だったのだ。(二〇〇四年にはユーゴスラビア・サッカー連盟本部でプラトビッチ事務総長が射殺されている)p63.C
進歩が速すぎるのも危ない。無理をするのは良くない。 <中略> 数学で苦手分野を克服できないでいると何年経っても同じところでつまずく。サッカーは段階を踏んで進歩していかないといけない。(二〇〇九年八月)
オシム監督のミーティングは短いと書いたが(選手を交えてのもの)、実はトレーニングも短い。一回のトレーニングは試合時間と同じほぼ九〇分。練習前後のストレッチを含めても二時間を越えることはない。
<中略> まとまった休憩時間も取らないから、選手たちは練習メニューが切り替わり次の練習の説明がおこなわれている間に、素早く水分を補給しなければならない。試合ではレフェリーが時計を止めて水を飲ませてくれるわけではない。 <中略>
同じ練習メニューをくり返さないから、選手にとっては毎回のトレーニングが「初体験」で、練習の意図や目的、自分の役割をそのつど考えなければならない。しかも、ひとつのメニューは10分で終了、長くても一五分で次のメニューに変わる。
p75・c
(現役時代のプレーは「ワルツ王シュトラウス」にたとえられたほど優雅、華麗、エレガントだったが <中略――そのトレーニングの> 即興性という点ではモダンジャズにも通じる。 メニューに選手が乗っていれば長くし、単調になれば新たな条件が次々に加えられる。 p79)・c
「もっと伸びてもらうためには、アタマを使わないでどうする」p79
オシムさんは日本代表を「エレガントなチーム」にしようと考えていた。二〇〇六年十月のインド戦後の記者会見で、オシム監督は何がエレガントなのかについて説明している。「改善点で一番重要なのは、まず落ち着いて冷静でいること。それから効果的なプレーをすること。スキル(技術)をもっと性格にすること。それらをまとめて一つの単語にするなら『エレガント』という言葉で表せる」。 <中略> しかし、就任直後から「エレガントにプレーしろ」といえば、「無駄な汗をかかずにテクニックを発揮すればいいのだ」と誤解を受けることになっただろう。
<中略>
まず「九〇分間走れる」ことを前提に、豊富な運動量で相手チームを圧倒できるサッカーをめざす。次の「走り」のクオリティを上げる。ここを土台にエレガントな要素を組み合わせていく。 <中略>
「ただ大量の水を運べばいいわけではない。おいしい水でなければならない。泉からわいたばかりの、冷たい水だ。日本にもワサビを栽培する泉があるだろう。ああいうところの水だ」p87・c
二〇〇六年九月のサウジ・イエメン遠征では、たぶん三秒ぐらい、記者会見で言葉がつまった。「選手は本当に疲れている。本当に死ぬほど疲れているのに、たたかう姿勢、あきらめない気持ちを最後まで見せてくれた」と、オシム監督の試合後の感想を通訳する途中、「死にそうなほど」ということころで、ちょっぴり涙も出た。移動中の飛行機の中では眠れないたちで、アジアの暑さにはとりわけ弱い。そうでなくとも試合の三日前ぐらいからは対戦相手の研究や、それに対応した戦術、先発メンバーをだれにするかで、オシム監督はほとんど眠らなくなる。 <中略> 死にそうなほど疲れていたのは、オシムさん、あなたではないか。p97・c
オシムさんはJリーグ観戦の際、両チームのウォーミングアップを見ただけで、試合結果を言い当てることがあった。ときにはスコアまで予想して当てた。p112・c
戦場で戦術や武器が改良されたのと同じように、サッカーの世界でも相手の裏をかき、急所を攻める戦術が発達した。「革命」を起こしたのは一九七〇年代中盤のオランダの「トータルフットボール」。全員攻撃全員守備、システムはあってないようなもので、流動的に変化し、その中心にヨハン・クライフがいた。
さらに一九八〇年代には、プレッシング戦術が発達し、サッカーはだいぶ窮屈なスポーツになった。 <中略>
(現代サッカーにおいて「オフ・ザ・ボール」の意味がかなり抜本的に変わった)残念ながら、もうロマンティックな時代ではないのだろう。 <中略> オシムさんは「美しさと効率性は両立しない。それが両立できているのはバルセロナぐらいのものだ」と語ったことがある。そのあとには「だから、オレはバルセロナのようなサッカーをめざしたい」という一言を飲み込んでいたのではないか。p115・c
「戦わずして人の兵を屈するのが善の善なる者なり」(孫子より)p117
日本人選手の多くは監督に叱られるとを恐れながらプレーするため、リスクをおかす積極性が出にくい。p125
「レアルからの監督就任要請は名誉だった <中略――ブラトゲーニョ、サンチス、イエーロ……> 自分のやりたいことより義務の方が大きいと判断した」(二〇〇九年五月、ボスニア国営テレビ)
レアルのようなビッグクラブでは戦術や選手起用法などでフロントから口出しされるのきまっている、それがいやだから <中略> 限られた予算の枠中で自分で選手を探してきたり育てたりしながら、選手たちの特性に合った、しかも自分のやりたいスタイルのサッカーをやり、その上に優勝という結果も残す、そういうやり方をオシムさんは続けてきた。p134・c
「問題は、日本人が早く判断する能力を持っているかどうかではなくて、すばやく自分で考えることが一般社会で許されているのかどうかだ。そういう習慣があるのだろうか。どうなのだろう、逆に聞いてみたいのだが?」(二〇〇六年八月、イエメン戦前)p134
サッカーは格闘技と似た部分がある。キックオフ直後、相手選手と間近に対面し「こいつ速いな」「うまいな」と感応する。その感じ方で、試合終了までの駆け引きのリズム、主導権がほぼ決まる。その際、恐怖心をひきずったままでは判断を誤る。少なくとも「自分は今、こがわっている」と自覚すれば、自分をコントロールできる。そうでなければ相手に負ける前に、恐怖心に負ける。p141・c
(オシム監督は)おとなしい「良い子ちゃん」ばかりを集めたのではない。
「ミーティングで居眠りしているやつの方が活躍することもある」とか、「エゴイズムはプレッシャーへの強さでもある。エゴイストだから外す、では監督として単純過ぎる」などと、意外性を発揮する選手への期待も、オシムさんはもっていた。p154・c
「二アポストを抜かれて失点するのはGKの責任(ファーポストの失点はDFのミスがからむことが多い)」p157・(Cによるオシムコメントの要約)
「(問題は)リフティング=テクニックという誤解に加え、それよりも大きな問題は、ボール扱いのうまい選手は走らなくてもかまわないと、大目に見られる風潮があることだ」 p165
「日本は学校も社会も、教師や上司のいうことを守り、秩序を乱さないものが『優秀』という価値観で動いているが、それではサッカーは強くならない」p165「スタジアムに到着する前に、監督の仕事の大半は終わっていなければならないと思う」p165
大事なのは同じミスをしないこと。それを学ぶことが経験を積むということだ。玄関を出入りするときに毎回つまずいて、転びそうになるならば、それはドアが悪いのではなく、つまずく方に問題がある(二〇〇九年八月)
二〇〇七年十一月十六日の朝方 <中略> 「オシムさんが倒れました」。
<中略>
大変なことになった、とは思ったが <中略> 復帰にはどれだけの日数がかかるのだろう、一ヶ月か二ヶ月か <中略> あまかった。
集中治療室に到着し、事態が容易ならざるものであることをただちに理解した。アシマ夫人は私の顔を見て「ゼンさん」といったきり、涙ばかりで言葉が出ない。前の廊下に田嶋幸三専務理事がいた。目が赤い。 <中略> 結局、十二月末まで一ヵ月半、帰宅しなかった。p173・c
病名は脳梗塞。いまのところ出血はしていない。脳圧がいま以上に高くなれば、頭蓋骨の一部をはずす手術が必要になる。 <中略> 現在、全身麻薬で眠らせ、脳を休めながら呼吸と血圧、栄養をコントロールしている。全力を尽くすが、脳が大丈夫でも肺炎などをおこすと危険な状態になる……。
先生方は「全力を尽くしています」とはいったが、「必ず助かります」とはいわなかった。生命の危険という表現で直接いうこともなかったけれど、田中先生が「今日を含めて三日間、七十二時間がヤマです」というのにはまいった。「七十二時間、クリティカル(危機的)な期間が続く」と訳しながら、ああ、オシムさんは死んでしまうのかと動揺した。p177・c
麻酔薬の投与を中止して数日 <中略> そろそろ意識を回復するというところ、通訳だけICUにお呼ばれた。 <中略> 意識を回復した場合、(患者が)パニックになることがある <中略> 落ち着かせる必要があるからだ。
<中略>
十一月下旬、CT検査のための移動の準備中、オシムさんが目を覚ました。 <中略> 夕方五時半ごろだったか。家族と対面した。アシマ夫人は「おはよう、シュワーボ。目が覚めた?」と、ここまではたぶん前もって何と言葉をかけようか考えていたセリフだったのだろうが、後は言葉にならない。 <中略> p192・c
初めて会話をしたのはその翌日か翌々日。入院から1〇日余り後、十一月末のことだった。
「試合は?」というのがオシムさんの「第一声」だったことになっている。 <中略> たぶん二七日か二八日の午後のことだ。まだオシムさんの声はかすれていて、何かしゃべろうとしているのはわかるが、家族も聞き取れない。枕元に立っていた娘のイルマさんが、オシムさんの口元に耳をつけるようにして「何かいいたいの」と聞いた。
「試合、っていった?」とイルマさん。オシムさんはうなずいている。 <中略>
ただし何の試合か、試合がどうしたのかはわからない。 <中略>
「試合」という言葉をオシムさんは間もなく、もう一度、口にすることになる。しかし、それは疑問文ではなかった。あまりにもすさまじい内容で、当時は公表することはできなかった。
「試合に行かなければ」。そう、オシムさんは語ったのだ。 <中略>
「試合に行かなければ。こんなところにぐずぐずしていられない。メンバーを選ばなければ」 <中略>
当時はすでに岡田さんの日本代表監督就任が内定していた。まさか、あなたはもう監督ではない、なんていったら、せっかく良くなりかけているのがどうなるか。家族もこの点については非常に神経質だった。
p193〜・c
移籍はサッカーにはつきものだ。(二〇〇七年十二月、順天堂浦安病院から初台リハビリ病院に転院する際)p199
オシムさんが生死の境をさまよってから六週間。「ヤマ場」を乗り越えたとき、医師団の先生方からは、早くて八週間、場合によっては三ヶ月ほどICUでの治療が必要になる可能性がある、といわれていた。それが主治医の田中先生も「奇跡です」というほどの回復。年内にここを出られるとは想像もしなかった。p202・c
回復の早さは驚異的だった。それは世界選抜に選ばれたこともあるような、超一流のプロサッカー選手として強い身体に恵まれていたこと、そしてこれもプロならではといえることだが、人知れず、ベッドの上で自主トレを続けていたせいだ。
ある日、ICUに入るとオシムさんは目を覚ましていて、気分も良さそうなのだが、顔にびっしょりと汗をかいていた。「どうしたんですか、暑いですか」と聞いたが、熱はない。
「何でもない。こっちの足が動かないかなと思ってね」。毛布の下で、ほとんど感覚もなかったはずの左足を動かそうと、必死で「自主トレ」をしていたのだ。p204・c
二月のある日、ビートルズの「ヘイ・ジュード」が流れてきた時には、オシムさんの動きが止まった。疲れたのではなく、音楽にじっくり聴き入っている。休憩時間にさしかかり、ほかの患者さんたちが引き上げていく中、オシムさんはちょっと猫背のままベンチに腰かけ、フルコーラスが終わるまで動かなかった。スタッフが声をかけねているのに気がついて、照れ隠しのようにいった。「ヘイ・ジュードは最高だな」 <中略>
ある日、ビートルズが話題になった。当時のソ連など東欧諸国では西側のロックは非合法だったが、ユーゴスラビアでは普通に聞けたという。「何の問題もなくラジオから流れてきたよ。ユーゴスラビアはそういう点では自由で、外国旅行もできた。しかも西側にも東側にもビザなしで行けた」p208・c
といってもスーパーマンではなく、やはり生身の人間。リハビリで誰もが直面するデプレッション(欝)のサイクルはオシムさんにも来た。 <中略>
たとえば一月後半には、肩のリハビリが思うように進まず <中略> ため息をついて「もうだめだ、良くなるはずがない」。涙をこらえている(ように見えた)。若い作業療法士の舟木さん、どうしていいかわからず <中略> 「僧帽筋です。僧帽筋さえうまく動けば……」とアドバイスし、励ました。
オシムさんはしばらくうつむいていたが、いきなり顔を上げてニヤリとした。「僧侶の帽子か。それなら、ローマ法王に会った時、もらってくれば良かった」
オシムさん、気持ちの切り替えが早い! 身体能力よりも何よりも、一番すごいのはメンタル・コントロール能力なのだった。p210・c
なぜ勝てないかと言えば、勝てると信じていないからだ。(二〇〇九年八月)p218
「退院してからの方が大変」という話は一般によく聞く。入院前と同じ家具、同じ部屋での生活に戻ると、あれもできない、これもできないとショックを受ける。そのため、気分が落ち込んだり、気が短くなることが多いのだそうだ。p220.c
私が何者であるかということを忘れないために、試合を見に行った。サッカーが原因で病院に行かなくてはならなくなったが、そこから戻るのもサッカーの力だった。(二〇〇八年六月、日本サッカー協会アドバイザー就任記者会見)p225
日本は監督の輸出国を目指すべきだし、選手より、監督に「海外組」が現れる方がよほど私はうれしい。日本サッカーが本物になった証しにもなる。(二〇〇七年二月)
「練習方法は練習場の金網越しでも見ていれば分かること。何が大事なのか。それはスタッフルームや選手のロッカーに入り込み、試合ではベンチに座って彼らと同じ空気を吸い、『共犯者』になることだ。それは書物を読んだり、映像を見ているだけでは分からない <中略> さまざまなプレッシャーやストレスとどう闘い、消化しているのか <中略> 」(二〇〇七年二月、日本経済新聞)p233
ティーンエイジャー時代に良い選手であるだけでは不十分。それより、多少下手でも、スピード、持久力、左利きといった特徴や武器があること、サッカーについての理解力、進歩しようという意欲、まじめかどうか、すぐに腐ったりしないか、粘り強いかなど、小手先の技術だけでなく知性や性格などの個性を把握して、判断してあげることが何よりも必要なのだ。p236・c
二〇〇八年十月の来日 <中略> ――
オシムさんはちょっと改まって感謝の言葉をのべた。「(脳梗塞で倒れた)十一月十六日は、オシムのもうひとつの誕生日だと思っています。一度死んで生き返ったから、もうすぐ満一歳。その日は日本で迎えたかった。みなさんに、あらためてありがとうと申し上げたい。年に二回の誕生日。悪くないでしょう」p240・c
(ナビスコに優勝した西野に)「おめでとうございます。ガンバらしいスタイルをこれからも貫いてください」というオシムさんに、西野監督はいった。「せっかくだから、オシムさんに聞いておこうかな。タイトルをとった次のシーズンには何を気をつけたらいいでしょう?」
オシムさんは少し考えてから、こういった。「目標を、さらに高く設定したらどうですか。選手が満足してしまわないように」p244・c
二本足で日本に来たが、杖をついて三本足で帰ることになるかも。それだけ多く足跡を残したということなら、私の財産はその杖だ。(二〇〇九年一月)p245
■イビチャ・オシムの真実/ 訳:平陽子
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料理に関してはオシムは高級志向で、食材を自分で選び、クオリティ最優先で値段は気にかけない。料理人としての彼の腕前には定評があり、特に手製ヌードル料理とトマトソースは家族に好評だ。グルメでもあるオシムは特に、皮がパリパリに焼けたローストチキンや、ラプンツェルのサラダが好物だ。もっとも、少し苦味のあるこの野菜を「人生には十分、苦みがあるから」と言って遠慮する事もたびたびある。p6
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オシムの国際的名声は彼が数年間、FIFA技術委員会のインストラクターであった事からも窺い知れる。2000年12月にオシムがサラエボで講演した時は、ラツィオ監督でかつてはイタリアの名キーパーだったディノ・ゾフを始めとしたサッカー・エキスパート達が熱心に耳を傾けていた。p7
イヴァン・オシムはシュトゥルムの選手たちにサッカーとはボールを使うものであること、テクニックを磨くことが大切であることを教えたが、これは偉業だ。何故なら、オーストリアやドイツではサッカーは今でもスペースを使うものなのだから。(トーマス・グラヴィニッチ)p15
オシムは多くを直観的に理解するし、また、彼特有の「情熱」と「懐疑」を天秤にかけた結果も多い。もう一度、オットー・バリッチに話を戻すと、彼は抜け目ないが秘密は全く持たない。オシムは対照的にとても謎めいている。彼が言うことは全くの本心ではない。かと言って、オシムは自分に嘘をついているわけではなく、自分自身にすら「距離」を置いているのだ。p19
試合運びとはつまり、それが結果的には失敗でも「ゲームをメイク」するという意味だ。90分間がひとつ歴史あるいは小ドラマに発展し、それについて考えたり話し合ったりする価値を持つ。これこそが素晴らしい「ゲーム」の真髄だ。例え最終的に物を言うのが結果であるとしても。オシムはこの「ゲーム」の観点を愛している、と私は思う。だから彼は、最終的には試合に勝ちたくとも、「ゲーム」という観点を見失うことがない。(ゲアハルト・ロート)p19
オシム将軍…… イビチャ・オシムの現役選手としてのピークは1986年のヨーロッパ選手権だった。ユーゴスラビア代表はフィレンツェでの準決勝で、ボビー・チャールトン、バンクス、ボビー・ムーアという三大スターを擁する世界チャンピオン・イングランドと戦った(ちなみに彼は同じ場所で22年後にユーゴスラビア代表としてワールドカップでアルゼンチンと戦い、PK戦の末に敗れた)。 <中略> イギリスのアナウンサーはこう叫んでいた。「気を付けろ! ユーゴの攻撃陣を統率する金髪の将軍がボールを持ったぞ!」(ズラフコ・リボバッチ)p21
サビチェビッチの感謝…… <中略――ユーゴ代表で彼とオシムとの関係は良好ではなかった。> サビチェビッチはその後、まさにスーパースターとなり、1994年にはACミランチャンピオンズカップ優勝を勝ち取った。ACミランはアテネでの決勝戦でFCバルセロナに4-0で勝利した。試合終了のホイッスルが鳴った後、サビチェビッチが最初に向かったのは、観客席にいたオシムの息子セルミルのところだった。サビチェビッチはユニフォームを脱ぎ、当時20歳のセルミルに「おまえにプレゼントだ」と渡した。サッカー選手としての最高の瞬間に、サビチェビッチはセルミルに「おまえの親父なしには、俺は今ここに立っていない。おまえの父親は誰よりも俺に多くのことを教えてくれた。でも、そのことは今になってやっとわかったんだけどな」と言ったのだ。(ズラフコ・リボバッチ)p23
試合前後…… オシムは彼が選んだメンバーが試合終了までプレーすることを一番好む。何故なら、そのイレブンはその日、その相手チームに対抗するために、彼がもっとも信頼を寄せることのできる選手だからだ。もし、出来が悪かったからと選手を交代させたら、それは不信感の表れになってしまい、選手はそれを重荷に感じる、とオシムは思っている。つまり、「一度失敗したらお前はもうお終いだ!」と言っているようなものだとして、彼はそれをなるべく避けようとする。(ズラフコ・リボバッチ)p27
[A代表のヘッドコーチだったころのオシムにたいする数少ない疑問は、選手交代のタイミングだった。もっと早く手を打つという考え方もあるのでは? かなり消耗しているように見える選手がいたり、ゲームにフィットしていないプレイヤーも、試合終了までピッチにいたりした。相手のプレースタイルが明らかになった後半、しかも体力も落ちてきている状況に、効果的な動きを期待できる選手がベンチにいても、投入されないで膠着状態が続くゲームも何度か見た。「不測の事態はいつ襲ってくるかわからない。トレーニングから、日ごろの生活から、柔軟性に富んだ準備を万端に備えておくこと」というのはオシム自身の哲学でもあったのでは? この公理を「ゲーム」に適応すれば <あらかじめ用意しいたタクティクスやシナリオが、即興に書き換えられてしまうことが「ゲーム」であるんだから、ベンチに座る選手までもを信用しているからこそ、交代に踏み切ってゲームのイニシアチブを奪取する>という方法もあるというアンサーが算出されるのでは? など、いくつか思うところもあるが、彼がああいった判断を下していたことについての一つの理由は、上に引いた箇所を読んでわかった]
彼は非常に優秀な生徒として知られており、彼が卒業した学校の本には今日、イヴァン・オシムが学校創立以来、数学の最優秀生として記されているくらいです。 <中略> 分かりやすく説明することがとても上手なのです。
私はイヴァンを40年来、知っているわけですが、昔と全く変わっていません。才能をひけらかさない、謙虚な人です。
私たちは特定の神を信じない無神論者ですが、夫と3人の子供、そしてひとりの孫は神からの贈り物だと思っています。
(妻 アシマ・オシム)p34
オシムのドリブルはまるでウインナーワルツのようにリズミカルで軽快だったので、作曲家ヨハン・シュトラウスにちなんだ「シュトラウス」という愛称が生まれた。p59
(90年 イタリア・ワールドカップの)ユーゴ代表のチーム内の雰囲気は、既に試合前にメディアによって毒されていた。例えば、ある選手が私を買収しており、私がその選手をスタメンに入れれば家や車をもらえることになっている等、とんでもなく卑劣な噂が流されていた。セルビア人対クロアチア人の戦争は既に始まっていた。選手たちと私の背中を戦場にして。そこで、私はもうどの記者とも口を聞かなかった。「おしまいだ。もう何も言うことはない」と。p100
あやふやな思惑で動くと報いを受ける。人生とはそういうものだ。p126
(98/99シーズン シュトルムがCLに初出場)
レアル・マドリー、インテル・ミラノ、スパルタク・モスクワ、それは当時のヨーロッパ最強チームだったと思う。いずれのチームも今より強力だったと私は確信している。レドンド、ミヤトビッチ、シュケル、パヌッチを擁したレアルはCLの常連だったし、インテルはロナウドが故障する前、スパルタクは完璧なコレクティブだった。グラーツでスパルタクとの初戦を2-0で落とした時、私は「これこそがトータル・フットボールだ。スパルタク以上のサッカーはあり得ない」と言ったが、その見解は今でも変わらない。有名選手はいなかったが、全員が優秀なプレーヤーだった。p137
(99/00シーズン 二年連続リーグ制覇と三回のカップ戦優勝を成し遂げたシュトゥルムは、このシーズンも、CLも戦わなければならない過密スケジュールに悩まされた。最終的にオーストリアリーグは二位でフィニッシュ。「むずかしいコンディションをよく乗り切った」とオシムはこのシーズンの成績を大きく評価するのだが……)
シュトゥルムが今後、更に成長することができるのか、それとも新体制でスタートを切るために2、3歩後退するべきかを考える時がきた。だが、急降下することは良くない。クオリティーを落とすのなら、その下降線はなだらかでなければ、そこからまた新しいものを構築することは難しい。 <中略> これだけの年月が過ぎれば、何かの変化が期待されて当然だ。そして上に行くか下に行くかだ。問題は、サポーターや観客がそれを許容できるか、ということだ。会長を始め、周囲の人々はひと休みして深呼吸するようなことは考えていない。そういった時期があって当然で、それはまた新しい経験なのだが、誰もが皆、前より低調な成績を許容できないとすれば、それは残念なことだ。p140
マンUはシュトゥルムのお手本になり得るだろうか? コレクティブという面ではイエスだ。マンUではひとりの選手が目立つということはない。メディアはデビッド・ベッカムを引き立てようとしているが、彼はチームの一員として振る舞っている。マンUでは全メンバーが一級品であり、他より劣っている選手は誰ひとりいない。マンUが実践していることはシュトゥルムにとっては夢のようだ。それは独自の哲学である。マンUには素晴らしい若手育成プログラムがあり、そこではサッカーにおける行儀作法が叩き込まれる。それはサッカー選手としての生き方でもある。シュトゥルムの対戦相手となったいくつかのチームは私たちを格下のチームと見くびっていたが、マンUはそれをしなかった。p147
ヨーロッパ滞在中に必ず質問されるのが、日本人選手とヨーロッパ人選手の基本的な違いである。肉体的条件では簡単な話で、日本人は生まれつき小柄であるということ。これは確かに、現代サッカーにおいてはカバーすることが難しいデメリットである。しかし日本人選手は別のクオリティーを有する。それは他国選手より大きなクオリティーでもあり得る。端的に言えば、日本人選手はとてもスピードがあり、極めて敏捷で、また技術的に優れている。
<中略――ポジティブな要素――両足で上手にプレーできたり、ヘディングが巧み、学習能力が高い、向上心がある、練習場から追い出さなければならないほど熱心。試合の準備段階においても綿密な作業、最高レベルのスカウティング、「最高レベルのスパイ活動(オシム談)各選手の長所と短所について厳密な分析がされる」。ヨーロッパのような歴史をもたないことで過小評価されているが、Jリーグの試合テンポはとてもスピーディで、選手の技術水準は高いし、スタジアムは最新設備を備える。ヨーロッパのクラブと直接対戦できる機会が、Jリーグが向上する近道>
(以下、ブロックより抽出訳)しかし障害がある。厳しい上下関係。日本人選手は一人で何かを決定してはいけないように写る。ピッチ上で抜群の運動量を誇る選手でも、なにかアクションを起こしてフィニッシュまで持っていくという大きな責任を伴う場面になると、監督の許可を得たがる印象が強く残る。このピッチ上の行動様式はこの国での日常を反映するものだ。誰もが常に口を挟もうとすれば共同生活は難しいわけだが、サッカーにとっては非常に残念というほかない。「サッカーはインプロヴィゼーションが命だからだ。」
「更なる現象としては、日本のサッカーが今まで一度も独自の道を模索しなかったことがある。」日本はすべてをコピーしようとする傾向がある。イギリス人になるのもブラジル人になるのも無理なこと。真似はどこまでいっても真似でしかない。日本のレベルはあがった。いまや誰かの真似は必要でないのだ。独自の道を探るべきだ。自分自身の人生観の探求を、追及を。
(上記 p158〜)
勝つためのサッカーには、「スピード」が前提条件のひとつだ。
<中略>
さて、「スピード」(というテーマだが)「速くプレーする」とか「速い」とはどういう意味だろうか? それは別に、相手選手より速く走れることを意味しない。実際、足が遅い名選手だってたくさんいる。私が意味するところの「スピード」とは素早く考えて、迅速に判断することである。これもひとつの「速さ」だ。(「速さ」は現代サッカーでますます重要性を高めている)
サッカーは基本的に3つの要素から構成されるパズルだと私は考える。プレー、戦術、フィジカル・コンディションの3つのうち、ひとつしか満たさないのでは少な過ぎるだろう。ただし、「戦術」はちょっとした特別な位置を占めている。つまり、戦術はふたつのチームの違いを引き立てるし、弱い方のチームが勝つことに貢献することもできる。 <中略> しかし3つの要素が相互作用しなければならない。p165
サッカー選手に自分の弱点を克服する時間があるかどうか。 <中略> 選手の指導者全員の責任であり、また、ジャーナリストも同罪だ。皆が若い選手を見たがっている。しばらく脚光を浴びたとしても、欠点はあとあと表面化してくる。p165
日本人選手は非常によく練習する。し過ぎなほど。ただ、それらがひとりよがりな努力ではないか? やたらと汗を流せばよいのではない。ゲームに勝つための。弱者が強者と渡り合うための。戦術にフィットしチームをフレキシブルに牽引できるような、コレクティブなテクニックが要る。これは若いうちに体得しておくべき技術だ。サッカーは更に大きく前進するために一歩後退しなければならない。p166
私に言わせれば、2006年のドイツ・ワールドカップにおける日本代表への期待はあまりにも大き過ぎた。メディアの大部分は真相を知りながらも、正当な根拠のない報道で陶酔感を広めていた。 <中略> 日本代表はあまりにも簡単に予選を通過し過ぎたかもしれない。加えて、ワールドカップ開幕前のドイツとの親善試合(2-2)は日本代表にとって裏目に出た。それは「美しい虚偽」だった。 <中略> 真相は全く別だった。 <中略――ブラジルは言うまでもなく> クロアチアは欧州トップリーグに所属する選手を少なくとも10人は擁していたし、オーストラリアの選手6人はプレミアリーグでプレーしている。これらふたつのチームを過小評価する理由がどこにあったというのだろう? p171
さて、2010年の南アフリカ大会は特定の理由から非常に面白いものになるだろう。全試合が人工芝のピッチで行われる予定である。 <中略――人工芝には批判的な意見が多いが> 私は逆に、このようなピッチはサッカーにとって新しいチャンスになると思う。タックルが少なくなり、コンビネーションプレーが強化されるに違いない。技術的なレベルの高いチームにとっては有利だ。ゲームのスピードもあがる。いずれもサッカーが発展していく方向と一緒だ。p172
(EUは、誰がいつどのようにEU圏内に入れるかという規定を作ったが)それが民主主義なのか? EUはEU以外の国から自己防衛したいだけの話だ。EUは悪者から身を守っているつもりだが、それは正しくない。
サラエボでの私の戦争体験/アシマ・オシム
私は人の名前を全て忘れてしまいます。戦争以来、人の名前を覚えることができなくなりました。 <中略> 長年の精神的プレッシャーや恐怖から名前を忘れてしまう病気があるそうです。 <中略> 私ひとりではありません。子供たちも同様ですが、すぐに回復します。p202
1992年、イヴァンがユーゴスラビア代表監督に就任し <中略> 四月、末息子のセルミル(当時18歳)が「パパと一緒にベオグラードに行って、卒業試験のための新しいスーツを買ってくる」と言いました。 それは土曜日のことで <中略> イヴァンは、空港に人が溢れていたので驚き、皆がどこかへ行こうとしていました。サラエボでなにが起こっていたのか? イヴァンは日曜日にセルミルとベオグラードに発ちました。そして翌日にサラエボ攻撃が始まり、私は数年間、ふたりに会うことができませんでした。
1992年5月2日、私はセルミルと電話で話をすることができました。
「よくお聞き、セルミル。お前と話すのはこれが最後かもしれない」
戦時中、たまに無線を通じてイヴァンと話すことができました。でもこれは非常に危険なので、朝の4時まで待機しなければなりませんでした。会話はあらゆる人々に盗聴されていました。「とても元気。そんなにひどい状態じゃないわ」私は嘘をつく以外にありませんでした。
戦争でとても奇妙だったことがあります。
女たちは皆、いつも綺麗な洋服を着て、お化粧をしていたのです。
私は「死ぬ時もせめて美しくありたい」と思いました。
私はアメリカ特務大使の取りなしによって戦火のサラエボを離れることもできました。それなのに私は「逃げたりしない。ここに残ります」と言いました。私の故郷を見殺しにすることはできなかったのです。
戦時中、十五キロ痩せました。
二年間、外に出ることがありませんでした。
政治家たちは「もうすぐ我々は自由になる」と言っていた。
そのときまで四年かかりました。
この戦争で全く理解不能だったことは、誰が誰と戦っているか全く分からなかったことです。ボスニア全土に色々な民族がいたのですから。家族全員がひとつの民族やひとつの宗教からなっている「純血家族」なんていませんでした。 <中略> 私達の家は建物の3階にありました。お隣さんはロシア正教でその奥さんはセルビア人でした。その他にクロアチア人がふたり住んでいて、そのまた隣はモンテネグロ出身で奥さんはダルマチア人でした。
(イルマの「ママ、いい加減に逃げて。パパはもう二年半も待っているのよ。パパはママを必要としている」という説得に)祖国を後にする時、数多くのことが私の頭の中をよぎりました。 <中略> ウィーン15区にある私の姉の家に向かいました。それから間もなくイヴァンがやってきました。私達は呆然として、そして何となく距離を置いて、見つめ合いました。イヴァンが私を誰か知らない人と思っているような気がしました。私は15キロも痩せていたのですから。
(アシマのダイアローグ。p211〜 抽出要約の箇所あり)
訳者あとがき/平陽子
2006年ドイツ・ワールドカップ期間中、日本代表で仕事をするという好機に恵まれました。 <中略> しかし、ボン合宿中に私が垣間見たものは、部屋のテレビに日本製ゲーム機が接続できないから困るとか、ドイツの魚は臭みがあるから食べられないとか <中略> 宿舎に詰めていた警備員がある時、「日本人というのは闘争心あふれる立派な国民だと思っていたのに、試合を見たら全然違うじゃないか! 負けて宿舎に戻ってきてもヘラヘラ笑っているし、朝方まで部屋で騒いだりしているし、一体どうなっているんだ?」と率直な疑問をぶつけてきました。彼は、スイスとのプレーオフに負けてワールドカップ出場を逃したトルコからの移民でした。
■オシムに学ぶ/「週間サッカーマガジン」編集部
対等以上の相手なら、ディフェンスの選手は守ることを第一に考えていい。しかし、この日のイエメンのように相手が徹底して引いて守っている場合、ディフェンスはいつものプレーをしていては駄目なわけで、そのあたりの判断のあいまいさ、そして臨機応変のプレーができないことをオシムは嘆いたのだ。p19
「初戦の西ドイツ戦はわざと負けたんだ」
<中略>
「 <中略――オシムが率いた90W杯のユーゴ代表には> ストイコビッチ、スシッチ、サビチェビッチ、プロシネツキ(という優れたタレントたち)がいたが <中略――当時のユーゴのメディアは四人同時期用を求めていた> このメンバーでは戦えないことをメディアに分からせるために <中略――西ドイツ戦では> スシッチ、ストイコビッチ、サビチェビッチをスタメンで、プロシネツキも途中から入れた <中略> このやり方で勝てないことは分かっていた。 <中略> いい選手を11人使ったから勝てるというものではない」p52
「ジェフに足りない経験というのは、ひとつ何かを成し遂げるということ。何かを成し遂げるためには、選手のキャラクターがもっと必要。私がジェフの監督になって3年になるが、実際にジェフというのはそれまで中位に甘んじていた。だったらいっそのこと、中位じゃなくてもっと下で一部残留争いをしていたり、2部に落ちていたほうが、自分たちはやるべきだっていう気持ちになっていたかもしれない。ちょっとしたことで満足してしまっているというメンタリティーが感じられる。中間順位で、上でもなく下でもなく、穏やかな人生で、それにはまっている選手が多い」p102
2005年8月27日 Jリーグ代21節(新潟・ビッグスワン) 1-1新潟アルビレックス
「普通、疲れているときはアイデアを出すのは難しい。だから後半途中から入ってフレッシュだった工藤はアイデアを発揮したし、ゴールを奪ったこととは別に、林もクリエイティブなプレーをしたと思う。オールスターの投票で私が一位にいるのは、私が年を取っているので、みなさん同情してくれているだけだろう」p189
2006年3月5日 Jリーグ代1節(さいたま・埼玉) 2-4大宮アルディージャ
「何人かの選手は一人前になったと思っている。ナビスコカップの優勝でうぬぼれが生じている。忘れるべきだ。終わったことだ。カップ戦で優勝したら、本来はその後の試合で走ってその力を証明していかなければならない。もちろん、そのことは選手に伝えたし、目を覚ましてほしい」p198
[ Number730/Osim LESSON vol.4 ]
――バルサの優勝の意味を、どう捉えていますか?(田村修一:以下、問いかけ同)
「彼らがなぜこういうプレーをして、他のチームにはそれができないのかを追求していくべきだ。バルセロナと同レベルの選手を獲得しても、バルセロナのようにはプレーしない。一方、バルセロナは、スタイルも観客もスタジアムも変わらない。それが伝統であり、誰が監督になっても、彼らは自らのスタイルを変えない」
p103
――リバプールでは、ベニテスがスペイン人を呼んで成功しましたが。
「彼はチームの構造を完全に変えた。つまりプレースタイルやメンタリティを変えたわけだ。今のリバプールはスペインのチームだ。アーセナルも同じで、スペイン人やフランス人が中心だ。ボールをきっちりつなげるチームができたのは、イングランドによってよかった。リバプールは今季、優勝こそ逃したが、マンU以上に素晴らしいサッカーを実践した。全員がスター選手であるにも関わらずだ。ベニテスは、グループをコレクティブに強化することに成功した」
――同じことをやろうとしてスコラーリは、チェルシーで失敗しました。
「<--->選手の特徴を生かすために、彼らに合ったスタイルを監督は模索すべきだ。チェルシーならフィジカルの強さだが、スコラーリが目指したのは別の方向だった」
――ヒディングは違っていたのですね。
「彼は戦術をうまくチームにフィットさせた」
p103
――今季のレアルとバルサは対照的でした。
「彼らはすべてを持っているが急降下した」
――シュスターが失敗した理由を説明できますか?
「それこそレアルに関する最大の疑問だ。<--->クラブ首脳が、チームを統括する成熟した術を持っていないことを示している」
――レアルの内部政治は、常に複雑ではないですか?
「内部にそれだけの利益があるからだ。<--->レアルはちょっと遠くまで行きすぎた」
――スポーツの範囲を超えている。
「そうだ。もはやスポーツではない。スペインの政治が、内部にすべて詰まっている。バイエルンも同様で、ビッグクラブには多かれ少なかれ国の政治が反映される」
現代において、フットボールはどこへ行くのか。オシムはそのモデルを求るべく、今季CLの優勝をマンUに望んだのだろう。だが、それは果たされなかった。ならばバルサが、新しい道を示すことになるのか。
「それはまだわからない」とオシム。
彼の模索は続く。(田村)
■うるぐすインタビュー 2009 4/18&19

・一日に三試合は見ている
・サッカーはビジネス、仕事。アドバイザーとしても日本には居られなかった。それだけ身体が危険だった。ストレスがあったらならなかった
・中心選手である中村と遠藤ふたりのフィジカルを鍛えるだけでチームはぐんとタフになるだろう
・日本人のテクニックは試合に有効でない。必要なのは動きながらのテク、スプリントしながらのパス、ジャンプしているときの明晰な思考……ゲームを戦っている最中に捻出するアイデア、インテリジェンス……
・日本選手はゴール前で何をしたらいいか分かっていないのではないか
・日本には機敏にナナメに動ける小さな選手がいる。これはパワーポイント
・巻は戦士です。おそらく彼は、戦うということを、いちいち考えたりしないでしょう
・一番好きな日本人選手は水野晃樹(あんなに苦言呈しまくりだったのに!最も才能を感じていただなんて!いい話だ!)
・日本は様々な分野で世界トップレベルなのに、どうしてサッカーは?と、ずっと考え続けています。いまでも。神風と切腹……メンタルの素質はあるはずです(神風と切腹は、いわゆる、南米や西洋のフットボーラーが試合を戦う、相手を殺すようにボールを奪いゴールを狙うのとは全然違う原理が働いているが……どうしても勝ちたい、なら、神風だろうが切腹だろうがどんな異形の禁忌のメンタリティだって使う、自失して身を魂を命を投げ打ってお国のためにアノ人のために!とならない日本サッカーチーム、平和な国のプロスポーツ?だけど、野球や柔道や水泳は金メダルを取る)
・日本のサッカーレベルをあげるには?の質問に、審判をドイツやイングランドに派遣(留学)するとよいでしょう。国際経験が不足しているのはなにも選手だけでない
・サッカー選手のことをとやかくいう、あなたがたメディアの人間だって、自分を信じることができていますか?自分を信じていない人間が相手を信じることができますか?批判も必要だが、ファンもメディアも、選手を信じる、クラブやチームを信じる気持ちが大事だと思います
・ピッチ上ではアイデアを探しリスクを負う、そういったタイミングを自ら探さなくてはなりません
・サッカーとは、人生を難しく生きることです
・そして自分だけの武器を得て、いつでもゲームにユニークネスを発揮できること
・サッカーは二面性を持っています。華やかで暗い。美しくて猛々しい
・多文化のようなサッカー・チームでなければ

NUMBER 725 〜OSIM LESSON2
「ビッグクラブの悲劇を繰り返すな」
田村――Jリーグは、よい方向に進んでいるのでしょうか
オシム――そう思う。多くの若手がトップチームでプレーするようになった。J2にも有望な選手がたくさんいる。リーグに必要なのは飢えている選手であり、野心に溢れる選手たちだ。若手やJ2の選手は、進歩への強い意志を持っている。それが希望と可能性を与える。才能あるものにはチャンスを与える。進歩する気のない選手、走るべきときに走らず、戦いを回避したがるベテランは要らない。必要なのは、メンタリティを変えることだ。日本はすべてが整い過ぎている。恵まれた環境で暮らしていると、自分を変えていくのは難しく、少し困難な状況に直面すると簡単に諦めたがるが、それでは進歩が生まれない。常に難しい状況に生き、その中でプレーすることを学ばねばならない。p42--(要約)
日本代表×オーストラリア戦に必要だったのは構築者だ。中村や遠藤は非常に優れているし、田中も大久保も松井も運動量があってスピードがあるが、巧く、速く、軽い選手だけでは試合に勝てない。たとえば前線で身体を張れる選手が要る。ただし、選手は責められない。小さいのは彼等の過ちではない。あの試合、彼らはやれることをトライした。ただ、あの構成では相手のディフェンスを破れないということだ。
クロスの質やコンビネーションに議論の余地はあるものの、内田も長友も一試合に十回以上サイドを全力でダッシュできる。それだけで凄いことであって、だからこそ報われなければならないのだが、果たしてチームにそういった意識があったか、工夫があったのか。これはピクシーも同じことを言っていたが、日本の選手は重要な試合や決定的な局面において普段どおりのプレーができなくなる。メンタルの準備が足りないからプレッシャーに耐えられないのだ。試合の意味をよく考える。そこから準備は始まっている。
サッカーは運や偶然に大きく左右されるスポーツで、それが他の競技とはちがう。勝っている試合を失うことも、負けたはずの試合に勝利することもある。運命を受け入れることは難しい。だからこそメンタルを強くすること、強い性格を作り上げることが大事なんだ。p44--(要約)

■NUMBER 722
田村――(ジェフでは)全体が若く、経験不足の感は否めませんでした。
オシム――だからチャンピオンになれなかった。というのもベテランは、自分たちがチャンピオンになれるとは思っていなかった。最初から野心がなく、平凡なプレーしかしようとしない。あるレベルに達すると、そこから先に行こうという気がない。
若手は進歩し続けたが、高いレベルに達したときに恐れを抱き始めた。彼らもまた、そこから先に行く勇気を持てなかった」p22
オシム――サッカーを真剣に捉える。誰もがメッシやロナウジーニョではないのだから、より真剣に、よりコレクティブにプレーする。ヨーロッパのビッグクラブは、日本よりもプレーにディシプリンがあるし、それを語る場合も日本よりも緻密だ。
田村――たしかに緻密さが違います。
オシム――日本人にディシプリンがあるというのは、私はどうかと思う。たしかにあなた方の社会は、誰もが丁寧に挨拶はする。だがそれは、戦術的ディシプリンとはなんら関係がない。ビッグクラブと他を隔てているのは、ほとんどこの戦術的ディシプリンだけだ。そうであるからビッグゲームはときに面白みに欠ける。試合前から、何が起こるかをほとんど予測できるからだ。<--->
田村――本質を見抜き、それを実現することですね。
オシム――<--->サッカーには対戦相手が必ずいて、彼らはわれわれにとっては破壊者だ。p23
木村元彦――オシムさん自身は選手個人を呼んで「お前に期待してるぞ」などとは言わない人だった。もちろん言葉の重要性も分かっているんだけど、安易に言葉に頼らない人だったと思うんですよね。
間瀬秀一――ああ、それは絶対そうですね。<--->暗黙の了解ができてくる<--->突然コーチが<--->僕が出したボールにも<--->通訳なのに<--->選手は僕が出したボールに対して普通に攻めるし、守る。<--->それがオシムさんの練習でしたね」
木村――自身が指導者を目指すにあって、監督の言葉というものをどうとらえているのか、またオシムさんとのかかわりのなかで何を蓄積しましたか。
間瀬――大事なのは言葉の数じゃないということ。時と場所と場合を選ぶということ。あともうひとつは、決断するのは選手であって、最後の余白の部分は残しておかなくちゃいけないということ<--->
木村――判断の部分は上位伝達であってはいけない。
間瀬――そうですね。<--->週末の対戦相手のために一週間準備をして<--->ほとんどの指導者がやってる<--->オシムさんが違うのは<--->なにが起こっても対応できるように日々練習しておく<--->」p26(オシムは次の対戦相手を想定した練習はやらなかったらしい)
自分の考えている生き方を、サッカーを通して表現する。あの人がとらえているサッカーは本当に奥が深い。オシムさんは日本にいろんなメッセージを残してくれた。あとはどれだけ我々がそれを感じて、次につなげられるかではないでしょうか。p27(祖母井秀隆
■NUMBER 715
田村修一――練習メニューを組む上で一番意識されていた点は何ですか?あなたの練習は複雑で、選手に考える癖をつけさせようとするものでしたが。
オシム――「練習というものは、誰に何を教えるかをはっきり理解した上で行われるべきだ。それには明日、何が起こるかを予測する能力が必要になる。試合で何が起こっても、練習で準備していれば何の問題もない。つまり、考えるべきは今日ではなく明日のことだ。そこがわかっていれば、コーチの仕事は自ずと決まってくる。
また、選手は小さな子どもと同じで、信頼されてないと思えば不安になる。彼らに必要なアドバイスを与え、集中して働ける環境を作り出さねばならない」
T――だからこそ信頼関係が必要なわけですね。
O――「信頼関係がなければ監督は働けない。選手を指示通りにプレーさせるために必要な、権威を失っているからだ。選手はそのあたりの微妙な関係を、抜け目なく察して行動する。監督がフロントの信頼を失っても同じだ。選手は熱心に練習しなくなり、プレーも悪くなっていく」
T――選手を固定することが比較的多かったのも、彼らに信頼感を与えるためだったと。
O――そう。私がつねに同じメンバーを先発させているのだということを、彼らに理解させたかった。そしてどうして自分は先発なのか、あるいはサブなのかを、よく考えてほしかった。それを知ることが、信頼のおけるグループを作るうえで重要だからだ」p29
T――あなたが目指した日本と(EUROに勝った)スペインの間には、類似点が多くあるように見えます。
O――いや、それより違いにこそ目を向けるべkぢあ。日本にはスペインのような選手はいない。走りの量も質も違うし、テクニックのレベルも違う。ここをどう埋めるか。現状では練習で動きの質を上げていく以外にない。p30
T――あなたにとって、明日のサッカーとは具体的にどういうものでしょうか?
O――スペクタクルだ。明日のサッカー亜h、スピーディでダイナミックな、演劇的要素の強いものになっていくだろう。速い判断とボール処理。そして動き。生活のスピードアップに呼応して、サッカーもまたさらに速くなる。p32
T――日本サッカーは、これから何を目指すべきでしょう。
O――日本人が優れているのはモビリティだ。またディシプリンもある。それらをいつどんなときに、どういうやり方で発揮するのか。そこを考えるべきだ。
身体サイズでは、日本人は外国人にかなわない。だがずっと俊敏に動くことができる。そのスピードに見合ったテクニックを身につけることができれば……。ちょっと心配なのは、若い選手たちを見ていると、彼らの持つテクニックが、実戦に役立つものからは程遠いことだ。<--->卓越した天才的テクニックを持つことが、君たちの目指すべき道ではない。彼らはノーマルに成長させないといけない。
T――ノーマルに、とは?
O――子どもが成長するように時間をかけて、ということだ。早く育ち過ぎると、壁を乗り越える力を得られなくなる。ちやほやされて自分を勘違いし、過信して努力もしなくなる。<--->とにかく理想の姿を早いうちから追い求めるべきではない。それはやがて彼らにコンプレックスを与えることになる。出来ないことを求められても、強迫観念を得るだけだ。リアリストになって、自分を正しく評価すること。そこからすべてがはじまるのだから。p32
no1 2009-03-04
2009-03-21
2009-04-13
2009-07-13
2010-01-13
2010-01-28 20:55:47
2010-02-16 02:55:47
2010年04月12日
Number739
interview
●イビチャ・オシム 名将への道/田村修一

Ivica Osim〜名将になるための10カ条
1.野心に溢れた仕事場を選べ
2.勇気を持って若い世代を起用せよ
3.リスクを冒せ。恐れることはない。
4.選手と“ともに生きる”ことを意識せよ。
5.粘り強く議論し、自分の望みを伝えろ。
6.思い込むな。真実は自身で探求せよ。
7.他の分野からも積極的に学べ。
8.選手より豊富な知識を持て。
9.成功のために完璧主義者となれ。
10.後世まで語れる仕事をしろ。

――他競技の監督と意見を交換するアイデアは、どこから生まれたのでしょうか?
「経験からだ。特に成功した監督との意見交換は貴重だ。 <中略> ラグビーでは、ボールは自分の後ろにしかパスできない。そのコンセプトは、サッカーにも取り入れられる <中略> 」 p20
「 <中略> 監督はもっと頻繁に会って議論すべきだ。日本人、外国人の区別なく、それぞれが自分の考えを率直に言葉にする。合同セミナーのようなものを開くのもいい。サッカーがどこに向かっているかを議論し、一緒に仕事をしてみるべきだ。そして日本で何が可能かを、真剣に話し合うべきだ」
<中略>
「議論が決定的に足りない。個人と意見を交換すれば、そこから進歩が生まれる」 p21
●野村克也 ノムラは一日にして成らず/生島淳

(南海時代、70年に就任した)プレイングマネージャーに限界があることは野村自身、承知していた。自分の仕事は捕手として投手をリードし、4番打者としてランナーを返すことだった。必然的に攻撃面での作戦がおろそかになってしまう。その弱点を補うために実行したのが「参謀役」となるドン・ブレイザーの招聘だった。
ブレイザーを南海が招いた背景には、阪急の台頭があったと江本はいう。
「どうしようもなく弱かった阪急が急に強くなったのは、監督の西本(幸雄)さんの力やない、と野村さんは見抜いていた。そこで思い当たったのがスペンサーの存在だった」
大リーグのジャイアンツ、ドジャースなどでプレーしたダリル・スペンサーが阪急にやって来たのは‘64年のこと。「野球博士」と呼ばれたスペンサーの影響は大きく、戦力が向上した阪急は‘67年から3連覇を達成した。
そこで野村は対抗策として、‘60年代のセントルイス・カージナルスの名二塁手、ブレイザーに白羽の矢を立てた。 <中略> 今で言う「スモール・ベースボール」だ。 p30
戦略面、そして人事面での周到な準備が結実したのが、阪急との間で行われた‘73年のパ・リーグのプレーオフである。当時のパ・リーグは前後期制で、南海は前期で念願の優勝を果たしたものの、後期に入って阪急に1分け12敗と散々に打ちのめされた。
<中略――棄て試合をつくるなど野村の計算どおり第五戦を迎え、九回裏、南海が2-0とリード、ここで野村のシナリオが崩れる>
優勝まであと1死と迫ったところで抑えの佐藤が本塁打を浴び、1点差に詰め寄られた。そこで野村はベンチの江本にリリーフを命じる。
「無茶でしたよ。第3戦に完投してもう自分の出番はないと思ってたから、帽子とグラブも人のを借りてマウンドへ行った。そしたら野村さんは真っ青になってて、なにもしゃべれない。あんな野村さんを見たの、後にも先にもありません。そしたら主審の道仏(訓 さとし)さんが『しっかり頑張れ』と言ってくれた。あのシーンは忘れられない」
<中略――代打、高井が三振。南海が優勝>
野村克也、38歳の秋のことである。
●アレックス・ファーガソン 専制君主を目指した理由/デイブ・ハリソン:文 田邊雅之:翻訳・構成

現役時代のファーガソンは、ストライカーとしてスコットランドのクラブを渡り歩いた。だが、闘志満々で馬力はあっても、技術に乏しい荒削りな選手という程度の評価しか与えられていなかった。
ただし彼は、きらりと光る一つの資質を備えてもいた。強烈なリーダーシップである。たとえば10代の頃には、アマチュアのサッカー選手としてプロを夢見る傍ら、グラスゴー郊外の造船所で見習工として働いていたが、若くして労働組合の指導者を務め上げた経験も持っている。 p37
●平井伯昌 norimasa hirai
「 <中略> 言ってみれば、目標のために練習する逆算方式と、練習していけば速くなれるという積み上げ方式との違いですね。積み上げ方式でやってる選手も多いと思うんですが、それだと、あんなに頑張ったのに伸びないからもうだめなんじゃないかと思ったりするんです」 p63
「中長期の目標がなければ自分の力を出し切るのは難しいと思うんですよ。こういう泳ぎをしたい、じゃあ練習でここを変えよう、とやらないと伸びない。 <中略> 」 p65
●イビチャ・オシム 名将への道/田村修一

Ivica Osim〜名将になるための10カ条
1.野心に溢れた仕事場を選べ
2.勇気を持って若い世代を起用せよ
3.リスクを冒せ。恐れることはない。
4.選手と“ともに生きる”ことを意識せよ。
5.粘り強く議論し、自分の望みを伝えろ。
6.思い込むな。真実は自身で探求せよ。
7.他の分野からも積極的に学べ。
8.選手より豊富な知識を持て。
9.成功のために完璧主義者となれ。
10.後世まで語れる仕事をしろ。

――他競技の監督と意見を交換するアイデアは、どこから生まれたのでしょうか?
「経験からだ。特に成功した監督との意見交換は貴重だ。 <中略> ラグビーでは、ボールは自分の後ろにしかパスできない。そのコンセプトは、サッカーにも取り入れられる <中略> 」 p20
「 <中略> 監督はもっと頻繁に会って議論すべきだ。日本人、外国人の区別なく、それぞれが自分の考えを率直に言葉にする。合同セミナーのようなものを開くのもいい。サッカーがどこに向かっているかを議論し、一緒に仕事をしてみるべきだ。そして日本で何が可能かを、真剣に話し合うべきだ」
<中略>
「議論が決定的に足りない。個人と意見を交換すれば、そこから進歩が生まれる」 p21
●野村克也 ノムラは一日にして成らず/生島淳

(南海時代、70年に就任した)プレイングマネージャーに限界があることは野村自身、承知していた。自分の仕事は捕手として投手をリードし、4番打者としてランナーを返すことだった。必然的に攻撃面での作戦がおろそかになってしまう。その弱点を補うために実行したのが「参謀役」となるドン・ブレイザーの招聘だった。
ブレイザーを南海が招いた背景には、阪急の台頭があったと江本はいう。
「どうしようもなく弱かった阪急が急に強くなったのは、監督の西本(幸雄)さんの力やない、と野村さんは見抜いていた。そこで思い当たったのがスペンサーの存在だった」
大リーグのジャイアンツ、ドジャースなどでプレーしたダリル・スペンサーが阪急にやって来たのは‘64年のこと。「野球博士」と呼ばれたスペンサーの影響は大きく、戦力が向上した阪急は‘67年から3連覇を達成した。
そこで野村は対抗策として、‘60年代のセントルイス・カージナルスの名二塁手、ブレイザーに白羽の矢を立てた。 <中略> 今で言う「スモール・ベースボール」だ。 p30
戦略面、そして人事面での周到な準備が結実したのが、阪急との間で行われた‘73年のパ・リーグのプレーオフである。当時のパ・リーグは前後期制で、南海は前期で念願の優勝を果たしたものの、後期に入って阪急に1分け12敗と散々に打ちのめされた。
<中略――棄て試合をつくるなど野村の計算どおり第五戦を迎え、九回裏、南海が2-0とリード、ここで野村のシナリオが崩れる>
優勝まであと1死と迫ったところで抑えの佐藤が本塁打を浴び、1点差に詰め寄られた。そこで野村はベンチの江本にリリーフを命じる。
「無茶でしたよ。第3戦に完投してもう自分の出番はないと思ってたから、帽子とグラブも人のを借りてマウンドへ行った。そしたら野村さんは真っ青になってて、なにもしゃべれない。あんな野村さんを見たの、後にも先にもありません。そしたら主審の道仏(訓 さとし)さんが『しっかり頑張れ』と言ってくれた。あのシーンは忘れられない」
<中略――代打、高井が三振。南海が優勝>
野村克也、38歳の秋のことである。
●アレックス・ファーガソン 専制君主を目指した理由/デイブ・ハリソン:文 田邊雅之:翻訳・構成

現役時代のファーガソンは、ストライカーとしてスコットランドのクラブを渡り歩いた。だが、闘志満々で馬力はあっても、技術に乏しい荒削りな選手という程度の評価しか与えられていなかった。
ただし彼は、きらりと光る一つの資質を備えてもいた。強烈なリーダーシップである。たとえば10代の頃には、アマチュアのサッカー選手としてプロを夢見る傍ら、グラスゴー郊外の造船所で見習工として働いていたが、若くして労働組合の指導者を務め上げた経験も持っている。 p37
●平井伯昌 norimasa hirai
「 <中略> 言ってみれば、目標のために練習する逆算方式と、練習していけば速くなれるという積み上げ方式との違いですね。積み上げ方式でやってる選手も多いと思うんですが、それだと、あんなに頑張ったのに伸びないからもうだめなんじゃないかと思ったりするんです」 p63
「中長期の目標がなければ自分の力を出し切るのは難しいと思うんですよ。こういう泳ぎをしたい、じゃあ練習でここを変えよう、とやらないと伸びない。 <中略> 」 p65
トム・マシュラー 14人のノーベル賞作家を送り出した男/日本文学出版交流センター
レッシング『草は歌っている』(デビュー作) p14
『草原の日の出』(アフリカものの短編、「大好きなんだ」) p48
ヘミングウェイ『移動祝祭日』p82
(彼の「パリでの若いころの回想に満ちている」)
イアン・マキューアン『最初の恋、最後の儀式』 p88
チャトウィン『パタゴニア』 p90
(彼の最初の著書であり「壮大で、ほんとうにすばらしい」)
ジョン・ファウルズ『コレクター』『魔術師』
『フランス軍中尉の女』(ロマンティック、ヴィクトリア時代とイギリスが舞台、時間という要素がふつう以上に重要な役割をはたす「ほんとうに惹きつけられる作品です」)
柴田元幸が大学院生のころに大きな影響を受けた本 p112
レスリー・フィドラー『アメリカ小説における愛と死』
トニー・タナー『言語の都市』
2010年04月08日
実況席のサッカー論/山本浩・倉敷保雄
山本 当時(83年)のサッカーは取材競争・規制が厳しくありませんでした。クラブも親切なんです。それに比べると野球は当時から、インタビュー一人につき何万円払うみたいな感じでした。「これだけくれるんだったら、しゃべるよ」みたいなこともありましたからね。
倉敷 そんな頃から、悪い習慣があったんですか?
山本 フジテレビの『プロ野球ニュース』という番組がありましたよね。あれは「ニュース」ではなく「番組」だったというんです。番組だと出演料が発生する。それで出てくれる選手にお金を出すようになったと聞きました。 p11
山本 <中略> 数字そのものの持っている意味が野球とはちょっと違う。すると、そういうデータを書かなくなる。書かなくなると何が起こるかというと、紙に書いたものを伝えるのではなく、目の前で起きていることそのものを伝えるようになるわけです。でも <中略> すべてを言葉で伝えようとするとむしろ遅れる。
では何をするのかというと、ボールの動き、エネルギーがターンするところに言葉を打つわけです。ちょうど杭を打つようにそこに打てばいい。 <中略> あるいはボールにふれた選手の名前を言うだけでもいい。ボールの軌跡がそこで杭を打たれて、また次のエネルギーで動いていく。 <中略> 例えば「曲げて来たーっ」とか「飛んだーっ」という言葉もそういうことなんです。 p18
山本 <中略> 僕は、セットプレーはあまり入らないものだと思ってるんです。倉敷さんどうですか?
倉敷 僕もあまり入らないという設定ですね。 <中略> 入ったとしたら守備側に何らかのミスが起こってるわけで <中略> 見逃さないようにしたいと思います。 p26
山本 <中略> 日本サッカー界で「2-0は危ない。逆転されやすい」とよく言われるじゃないですか。海外のリーグでは、そういうことは多いですか?
倉敷 実はそんなにないです。
山本 僕は、日本で、2-0からやられるというケースを何度も見てるんです。そこで、エメ・ジャケ(元フランス代表監督)が来日したときに聞いたんです。「2-0は日本では危ないと言われますがどう思うか」と。すると「それは日本のサッカーが弱いんだよ」と言われました。「確かに、そういうことを言うヤツはいるけど、それは弱いチームのヤツか、弱いチームしか預かったことのない指導者が言うんだ。私が抱えていた時(98年W杯優勝時)のフランス代表は、2-0=勝ったという意味だ」と言ってました。 <中略>
倉敷 2-0の考え方というのは国によりますよね。Jリーグが2-0に弱いタイプのサッカーだということなのか、それとも僕らの国のサッカーのレベルがまだこれからなのか……。 p29
山本 <中略> アナウンサーがスルメの美味い所を、チューチューしゃぶっちゃうと、噛んで柔らかくしたのはいいけど、視聴者は口にした途端に吐き出しちゃう。解説者がしゃべったことに対して「ここで右から来たのは、福西を活かしたかったからなんですね」とか言っちゃうと、お客さんが嫌になっちゃうんですよ。 p33
山本 <中略> 僕は「ボディシェイプとは何か?」を確認したくて <中略――ヨーロッパの数カ国で> 聞きました。 <中略> 関心がないようだった <中略> 「君らの国ではそんなことまで教えないといけないのか? そんなものは、ゴールを向いてサッカーをやってれば子供の頃からひとりでに身に付くはずだろ」と言うんです。すごいショックでした。
<中略>
ライプツィヒのクラブでは、芝のコートが五面あるんですけど、そこに28台のゴールがあるんです。そこで小学生三〜四年くらいの子供たちの練習を見たのですが <中略――どんなトレーニングでも> 必ずゴールを置いてるんですよね。そうしないとボールを持った時にどこを向くか、自分がどう立っているかってことを意識しなくなっちゃうんです。 <中略> 日本の場合はゴールが非常に少ないんです。 p57
倉敷 これまで日本の放送でたくさんの海外サッカーの試合を紹介してきましたが、権利の高騰によってソフト自体が今急激に減りつつある。世界にはいろんなスタイルの語りべがいて、実況だけでもいろんなスタイルがあるということを紹介する場が失われて、真剣勝負で「おふざけはなしよ」という中継ばかりが残っているような気がするんです。 <中略> 僕にとっては焦りなんです <中略> 百花繚乱というような形で、世界のサッカーを口々にしゃべってくれたらなと僕は思っています。 p61
倉敷 僕はこれまでJリーグにあまりタッチしてなかったんで、日本の記者会見には違和感を覚えました。本音で語っていないのに、何を記事にできるんだろうって <中略> 海外の取材は基本的にぶらさがり(取材相手と行動を共にしながら取材すること)がほとんどです。そうなると自分達だけの記事が欲しい。だからみんながいる公の場で監督が話したことは、意味がない。 <中略> あるいは、そこで話す事っていうのは情報操作としての意味しかないから、「だまされないぞ」っていう記者の感覚が働く。 <中略> p72
山本 <中略> 僕ら日本人は、何でも答えがあると思ってる民族なんです。 <中略> 監督の話の中に答えを求めようとするのではなくて、監督がどういう人なのかを知ることが大事なんです。例えば「ソーセージを食べる時はどこから食べますか?」と聞く。 <中略> それを聞く方が、「明日の先発は誰ですか?」と聞くよりはるかにわかることがあるんです。 p72
山本 海外の試合の場合、映像だけを見て実況をやることが多いですよね。 <中略――チームの中心だったり放送時にフォーカスされる選手が> メンバーとして出てるのに活躍してないけど。情報が無い時はどうしてるんですか?
倉敷 まず技術的なことを考えますよね。 <中略> マークする選手が彼を消してしまってる、あるいは彼の対角にいる選手の存在が <中略> 消しているのかもしれない、という想像をする。 p77
山本 オフチューブであっても、ライブであってもシュートのシーンは必ず映るんです。 <中略> その前の所はある程度映っていれば我慢できる。ところが、レッドカードで退場のシーンというのは、ライブでも撮られないことが結構あるんです。ですから、それを見ておくということが、僕らの仕事の大変な要素です。
ライブの場合、僕はこういうやり方をするんです。凄いシュートがあった。キーパーのファインセーブでポストの脇をコロコロっとボールが逃げて行った。ここで、シュートのスロー映像に切り替わります。そこでスローになった途端に解説に話をふるんですよ。その間、自分はモニター、VTRを一切見ません。ピッチをジーっと見てるんです。そうすると、そこでDFの選手と殴り合いをしてるヤツがいたりするわけです。
解説者がシュートについて解説してくれてますが、その間はうなづきです。 <中略>
その点でオフチューブはきついですね。なんでレッドカードが出たのかわからない。 p81
山本浩 名実況より〜
「優勝経験のあるイタリアか、それとも地元開催のフランスか。勝利の女神は非常に厳しい選択を迫られています」
※98年7月3日、フランスW杯準々決勝・フランス対イタリア戦。 p104
山本 <中略> 平山相太がオランダに行ったけど、上手くいかなかった。 <中略> 彼を批判するのは簡単だけど、日本の中で育てた我々が、彼を簡単に批判していいのかなとも思う。
倉敷 平山の場合はずいぶんと虐められたらしいですね、クラブの会長から。「おまえが来たら、ユニフォームも売れる」という責任も背負わされていたみたいです。 <中略> でもそれ程売れなくて、「なんだよ平山〜」というようなベクトルが彼の方に向かっちゃったそうです。 p127
山本 日本のレフェリーは……というか我々日本人すべての中に「ファウルは起ってはいけないもの」という感覚があるんですよね。だからファウルが起こるとすごく腹がたってくる。 <中略> ゲームをコントロールできないレフェリーにはそういう人が多い。 <中略> 優れたレフェリーは <中略――その逆。> 「どこに(ファウルの)軸を置いて、試合によってどこまで半径を広げていくかということでやっている。 <中略>
倉敷 日本はレフェリーに関して言うと、アシスタントレフェリーがもう少し発言の強さを持っていかないと、難しいんじゃないかと思いますね。 <中略> 縦社会なのか、主審よりは副審は偉くないみたいなものが、なんとなくあるように放送の現場から見てると感じる。 p138
山本 <中略> メディアは98年からぶっ続けでA代表の方に目がいってました。 <中略> A代表が一年中フレンドリーマッチやらなんやらで組んでるからですよ。どうしてそんなに組むかというと、強化の狙いもありますが、一方で儲かるからです。何で儲からないといけないかというと、サッカーの普及のためにもお金は必要なんですが、実は02年の日韓W杯にも理由があるんです。
<中略――日本単独、12都市12会場の予定が、日韓共催によって6都市6会場になり、ところが「うちの県でも」という盛り上がりで、最終的に10都市10会場に決まる> でも経済的に見れば多過ぎたんですよね。 <中略> そのための試合を組んで、サーカス巡業のようにW杯の会場をまわってフレンドリーマッチを組む。 <中略――メディア、ファンはそちらを見る> 谷間の世代と言われる人たちは実力がないというより <中略> 関心を持たれた中で戦う「経験」がなかった世代なんですよ。 p147
山本 (ドイツw杯)日本代表というのは23人じゃなくて、50人なんです。IDカードが50枚用意されてるんです。そのうち23枚は選手、残りの27枚はスタッフ。その27枚の構成をどうしたかということを、メディアはほとんど報じてない。 <中略> 記者もほとんど知らない。
同じ50枚のカードで、ドイツはキリスト教、カトリックとプロテスタントのいわゆる聖職者をひとりずつ置いてました。選手の精神面のケアのためにです。その他にカウンセラーも置いてる。この人たちにIDカートを出してるんです。日本はというと、練習会場に看板がちゃんと出てるかどうかを確認する広告代理店の人が入ってた。
<中略>
ドイツはホームチームだから、クライアントが直接会場に出向いてチェックもできるでしょうからいいですけど、日本チームの場合は、代表チームがちゃんと契約を遵守してるかどうかを確認する必要がある。ただし、他の必要なスタッフと見比べて、十分な検討の上に決まったのかどうかです。
<中略>
それでも勝ってればそれで良しなんです。現に02年は同じ体制でいってます。ただいあの時は日本でやりましたから、心理カウンセラーの代わりに、家族をそばに呼んだりできた。今回も、家族を近くに呼んではあった。 <中略> それはカウンセラーがいなかったからかどうかは定かじゃないですよ。
<中略>
他の国はそういう準備をしているけど、日本はそういう準備をしていない。
<中略>
国民性にもよるけど、日本はそういうものを踏まえたうえでやってるのかどうか? <中略> 検証していくべきじゃないでしょうか。 p151
2010年04月02日
アンビエント・ミュージック 1969-2009/監修・編=三田格&STUDIO VOICE
虹釜 90年代初頭には、「アンビエント・ファシズム」とでもいえるような時期があって、みんな手探りで擬似環境音楽(=虹釜氏におけるアンビエント)を聴いていた状況がありましたね。V.A.『アイソレイショニズム』やデヴィット・トゥープの『オーシャン・オブ・サウンド』などがリリースされたり、初期ジム・オルーク、C・シュルツを出していたイクストリーム、ビート・ナムルックのファックスやアキムが主催するアーディアル・ディスク、キム・カスコーンのサイレントなどのレーベルも活発に動いていました。同時にサウンド・アート、ニューエイジ、現地録音、宇宙音響、イルビエント、ミッシェル・ルドルフィのエレクトロアコースティック系と、アンビエントとして共有されるかもしれない作品が大量にリリースされていて、その時期から音楽・音響を聴き始めた自分は、いきなり擬似環境音楽漬けになって身体を壊すほどの洗礼を受けました。 p45
虹釜 <中略> 05年に僕は沖縄に移住したんですが、一年間住んでみて気づいたのが、ストレスが溜まったときに癒される音というのがターミナルから出航する船の凶暴なモーター音だったんですね。都市の機械音・ノイズが幼いころから身体に馴染みきっているというのを頭でなく、身体で無理やりわからされた。 p46
ジェネシス・P=オーリッヂらのスロッピン・グリッスル(インダストリアル・ノイズ・ミュージックの嚆矢)
湯浅 最近の住環境でアンビエントを考えると、やっぱり自分の中に限界ができちゃう。アンビエントは演奏者が自分に対して奏でている。でも、一度外で演奏すると自分に返ってくる音が違う、ということに目覚めて、「今度は違う場所に持っていこう」となると、聞いてるものを外に持ち出すことが、演奏と同じような体験を考えていくことになる。そうするとアンビエントはもっとソーシャルになっていく。
大友 録音された擬似アンビエントを再生することよりは、現場のリアルな響きを考えることのほうが本当の意味でアンビエントだし、そうやって音楽は空間とコミットすべきだと思ってる。 p95
大友 本当の意味でのアンビエントな創作って社会的なものにならざるを得ない。リアルな空間を考えれば、ソーシャルなものにならなきゃおかしい。なぜなら空間は個人の持ち物ではなくて、みなでシェアする場ですから <中略> 個人の意思で全部をやるって、空間の支配者になるっていうことでしょ。 <中略> 音楽は閉じて聴くもんじゃなくて、ある空間を共有するためのものだからこそ面白いと思ってるんで。
湯浅 そうか。最近の流行歌が面白くないのはそこにあるんだ。シェアする音楽じゃないからなんだ。(昔のポップスは)最初からアンビエントを考えて作ってあるわけだ。 p96
――アーティスト・アルバムMEMO――
シュルツ
イーノ「ミュージック・フォー・エアポーツ」(アンビエントのはじまり)
ロバート・ワイアット
マッチング・モウル(ワイアットのバンド)(イーノの相棒、ロバート・フィリップがゲスト参加した)
ロバート・フィリップ
「スカイ・ソー」(二台のテレコでの実験)
73年 フィリップ&イーノ「ノー・プッシーフッティング」
<オブスキュア(不明瞭な、薄暗い)>レーベル イーノのレーベル
『ディスクリート・ミュージック』(入院で得た啓示を実践に移した)
KLF
オーブ
細野晴臣 マーキュリック・ダンス ナーガ パラダイス・ビュー メディスン・コンピレイション LOVE、PEACE&TRANCE
BO HANSSON
THE ORB/ADVENTURE BEYOND THE ULTRAWORLD
>>> BookMemo 4/1
アンビエント・ミュージック 1969-2009/監修・編=三田格&STUDIO VOICE
アリゾナ・ドリーム パンフレット
丸山純子 パンフレット
自己催眠術/平井富雄
実況席のサッカー論/山本浩・倉敷保雄
自己催眠/武藤安隆
――――――――――――――――
自己催眠術/平井富雄
「山椒は小粒でもピリリとからい。」という諺がある。性器は短小であるためにいけないのではない。いざというとき、ピリリとしていないのがいけないのである。 p169
なるほどね!
アリゾナ・ドリーム パンフレット
丸山純子 パンフレット
自己催眠術/平井富雄
実況席のサッカー論/山本浩・倉敷保雄
自己催眠/武藤安隆
――――――――――――――――
自己催眠術/平井富雄
「山椒は小粒でもピリリとからい。」という諺がある。性器は短小であるためにいけないのではない。いざというとき、ピリリとしていないのがいけないのである。 p169
なるほどね!
2010年04月01日
ベンゲル監督「グアルディオラが世界一の指揮官」=CL
2010年3月31日(水) 11時41分 スポーツナビ
アーセナルのアーセン・ベンゲル監督は、チャンピオンズリーグ(CL)準々決勝で対戦するバルセロナのジョゼップ・グアルディオラ監督を絶賛した。
フランスの日刊紙とのインタビューに応じたベンゲル監督は、「世界トップ3監督」として、グアルディオラ監督、マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督、スペイン代表のビセンテ・デルボスケ監督を選んだものの、その中でも「グアルディオラ監督が世界一の指揮官だ」と言い切った。
「グアルディオラ監督を選ぶのは当然のことだ。なぜなら、彼は確固たるスタイルと高いレベルを兼ね備えたサッカーで、すべてを勝ち取ったからだ。わたしは彼の仕事ぶりに感嘆している」
ベンゲル監督はまた、グアルディオラ監督が指導者としての高い能力を有する要因として、現在のバルセロナのスタイルの基礎を築いたと言われているヨハン・クライフ氏が監督を務めていた当時、チームの中心選手として活躍したことが影響していると考えているようだ。
「彼は師匠のヨハン・クライフから“バルセロナ”という名の素晴らしいサッカースクールの良き伝統を学び、それをより完ぺきに受け継いだ」
(C)MARCA.COM
アーセナルのアーセン・ベンゲル監督は、チャンピオンズリーグ(CL)準々決勝で対戦するバルセロナのジョゼップ・グアルディオラ監督を絶賛した。
フランスの日刊紙とのインタビューに応じたベンゲル監督は、「世界トップ3監督」として、グアルディオラ監督、マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督、スペイン代表のビセンテ・デルボスケ監督を選んだものの、その中でも「グアルディオラ監督が世界一の指揮官だ」と言い切った。
「グアルディオラ監督を選ぶのは当然のことだ。なぜなら、彼は確固たるスタイルと高いレベルを兼ね備えたサッカーで、すべてを勝ち取ったからだ。わたしは彼の仕事ぶりに感嘆している」
ベンゲル監督はまた、グアルディオラ監督が指導者としての高い能力を有する要因として、現在のバルセロナのスタイルの基礎を築いたと言われているヨハン・クライフ氏が監督を務めていた当時、チームの中心選手として活躍したことが影響していると考えているようだ。
「彼は師匠のヨハン・クライフから“バルセロナ”という名の素晴らしいサッカースクールの良き伝統を学び、それをより完ぺきに受け継いだ」
(C)MARCA.COM

